車いすテニス・大谷桃子 全仏準優勝で佐賀から世界への扉をこじ開けた新星
パラ・アスリートの軌跡 ~障がい者スポーツ~
車いすテニスの新星が東京パラリンピックの表彰台を視界に捉えた。競技歴5年の大谷桃子(25=かんぽ生命)が10月の全仏オープン女子シングルスで準優勝。2度目の4大大会で世界ランキング1位のディーデ・デフロート(23=オランダ)を破って躍進し、東京パラでの目標を上方修正した成長株の軌跡を追った。(東 信人)
新型コロナウイルスの影響で来夏に延期された東京パラリンピック。開催が1年先送りされたことで、大谷の視界は大きく開けた。
「グランドスラムを経験してから東京に臨めるのは良かったな、と。全仏で少し勝てたので自信になった。最初は東京でベスト8ぐらいかなと思っていたんですけど、もっと上を狙っていきたいなと思うようになって」
予定通りなら世界ランク上位8人しか出場できない4大大会を経験することなく東京パラを迎えていたが、延期を受けて9月の全米オープンで初出場。この時は1回戦で世界2位の上地結衣(三井住友銀行)に敗戦も、10月の全仏オープンでは準決勝で世界1位のデフロートを破った。決勝で再び上地に敗れたとはいえ、堂々のグランドスラム準優勝。一躍パラリンピックのメダル候補に浮上した。
目の前の試合に集中する平常心とケガの功名から生まれた積極性がかみ合った。4大大会初出場の全米では心が浮つき、コートを下見した際にプレーしていた健常の元ウィンブルドン選手権女王ペトラ・クビトバ(チェコ)に視線を奪われた。
「大好きな選手で観戦する感じになって。自分がここで戦うんだとイメージしないで、ただ見てしまった」
しかし、全仏では反省を踏まえて頭と心の中をしっかり整えた。前哨戦で腹筋を痛めたこともあって「短期決戦を意識した」と振り返る。本来は粘り強くボールを拾ってラリーを続け、隙を突いて攻撃に転じるスタイル。長丁場の戦いは歓迎すべき展開だが、全仏はリターンエースを狙って積極的に仕掛けた。
過去2戦2敗だったデフロートとの準決勝ではリスクを負って厳しくサイドを狙い、タイミング良く繰り出したドロップショットも効果を発揮。「それまでは自分のものにできなければ、なかなか試合では使わなかったんですけど、今回は使わなくちゃいけない環境で使ったら意外にできた。これからはどんどんチャレンジしたい。(プレーの幅が)広がるかな、と思います」と手応えを口にする。
大舞台で進化した新星は、これまでも自身の力で道を切り開いてきた。テニスをしていた栃木・作新学院高では3年時にダブルスでインターハイに出場。卒業後にスポーツトレーナーを目指して東京都内の専門学校に進んだが、入学から2カ月ほどで右足にけいれんが出るようになった。
「最初は松葉づえで何とか歩けていたんですけど、段々ひどくなって車いすになって」
前期終了後に休学を強いられ、そこから1年半は入退院や治療の日々。一時は栃木の実家に引きこもった。見かねた父親から車いすテニスの体験会に連れ出され、何回か挑戦したが「自分の知っているテニスとはかけ離れていた」と振り返る。楽しさを感じる場面はあったものの、それよりも「苦しいことが多かった」と大谷。継続の意思はなく、就職して生活していくことを視野に大学進学を決めた。自動車通学や車いす生活など環境面を重視して選んだのが佐賀県の西九州大だった。
新天地ではパラ競技で指導者がいたアーチェリーか陸上への挑戦を考えたが、入学直後の16年5月に車いすテニスと“再会”した。
ゼミの指導者と福岡県飯塚市で毎年行われている伝統の国際大会「ジャパンオープン」を観戦。トップクラスのプレーに見入った一方で「自分ならもう少しこうするかな」「こうした方がもっと早く決まるんじゃないか」と考えを巡らせた。体験会では感じなかった刺激の連続。「自分は結局、テニスをやりたいんだな」と感じた。
やると決めたら意思は強かった。理学療法士の紹介で、テニスショップを経営しながらフリーのコーチをしていた古賀雅博氏(45)に指導を依頼。車いす選手を教えたことがなかったため遠回しに断られたが「優しい口調でやんわりと言われたので“忙しいから駄目なんだ。忙しくなければいいのかな”と思って、時間さえあればしつこくお願いに行っていました」と振り返る。
「未経験で自信がないものでお金を取るのはちょっと…。その道のプロなので」と古賀氏。しかし「本当に困っているんだろうな」と一度だけ付き合った練習直後の大阪国際車いすトーナメントで大谷は準優勝した。それでも指導への踏ん切りはなかなかつかなかったが、熱意に押されて「いつの間にか、なし崩しに練習するのが当たり前になってしまった。根負けです」と二人三脚で歩み始めた。
16年10月1日、現在に至るまでの師弟コンビは結成されたが、順風満帆ではなかった。車いすでの競技歴が浅い選手と指導歴がないコーチ。そろって手探りの状態で、インターネットで動画を見ながら練習法を模索した。
古賀コーチはつてをたどって上地を指導する千川理光コーチの助言を受け始め、面識ができた選手から古くなった競技用の車いすを譲り受けて自ら体験。「自分で乗ってもいないのに“こう漕げ”とは言えない。絶対に気持ちは分からないと思って」。大谷は「お互いに歩み寄れたというか、大きかった」と明かす。感覚が共有できるようになったことで信頼関係も深まった。
健常者としての競技経験からラケットワークにはアドバンテージがあった大谷だが、課題は車いすを操るチェアワークだった。鋭い動きを実現させるだけの筋力はもちろん、スムーズに操る経験値が低かった。そこを補うために練習最初の1時間はチェアワークに専念。前進、後進のスラロームを片手ずつ行うなど10種類程度のメニューを繰り返し行った。「無意識にできるようになったのは今年1月ぐらい。やっとプレーだけに集中できるようになった」と振り返り、躍進につなげた。
環境改善も追い風になった。かつては地元企業を中心に自らスポンサー獲得に動いてきたが、今年4月にかんぽ生命に入社。昨年4月から所属契約を結んでいた大企業の全面サポートを受けられるようになった。授業の合間で変更もあった練習時間は学生時代の倍増以上になったという。
競技力向上に成績が伴い、夢も出てきた。
「活躍してメディアに出たり、佐賀でやっていることを発信して環境を整えればジュニアも出てくるかな。そこから一緒に世界で戦う仲間が出てくれば」
拠点の佐賀は常時使用可能な室内のハードコートがなく、雨が続けば調整ができないまま遠征に出ることもある。車いすの子供はいてもテニスに取り組む環境が整っているとは言えない。自らのためだけでなく、後進のためにも道を切り開きたいという思いがある。
今年3月の練習中に東京パラ延期が決まった際はショックを受けながらも「1時間ぐらい練習をしたら“もう少し練習できるからいいかな”と思うようになって」と自然と気持ちが切り替わった。延期された1年を生かし、世界の頂点に挑む。
≪来年6月7日時点の世界ランクで代表決定≫車いすテニスの東京パラ出場枠は各国最大で男女各4、障がいが重い男女共通のクアード(四肢まひ)クラスが3。男子の国枝慎吾と女子の上地結衣がそれぞれ19年アジア・パラ優勝で出場が内定し、残りの枠は原則として来年6月7日時点の世界ランキングで決まる。大谷は11月23日付の最新ランキングで日本人では2位の上地に次ぐ7位。田中愛美(ブリヂストンスポーツアリーナ)が13位、高室冴綺(スタートライン)が17位、船水梓緒里(三菱商事)が19位で続いている。
≪お楽しみはジェルネイル≫大谷が爪の保護を兼ねて楽しみにしているのがジェル状の樹脂を塗り、ライトを当てて固めるジェルネイルだ。耐久性が魅力で「普通のマニキュアだと、こすれたらなくなってしまうので」と話す。車いすの操作は手にかかる負荷が高く、気温が上がる夏場は皮がむけることも多い。「爪が伸びていると割れたり、肉の部分まで爪が飛んでしまうことも」と大谷。ネイルは女性らしく季節感を取り入れたデザインがお気に入りで気分転換にもなっているようだ。
◆大谷 桃子(おおたに・ももこ)1995年(平7)8月24日生まれ、栃木県出身の25歳。小学3年からテニスを始め、作新学院高3年時の13年にダブルスで全国高校総体出場も1回戦で敗退。16年4月に西九州大に入学し、車いす競技に転向。同11月に全日本選手権で優勝するなど急成長し、18年10月のアジア・パラ競技会では銅メダル。1メートル62・5。
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