語り継げ、「コウダイ」ラガーマンが命を懸けてつくった芝のグラウンド

[ 2020年6月23日 12:00 ]

大工大ラグビー部元監督の橋爪利明さんの追悼植樹式が大工大枚方キャンパス内であり、常翔学園・野上友一監督(前列右端)、摂南大・河瀬泰治総監督(前列右から2人目)、大工大・益山新樹学長(前列左端)らが出席した
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 人に歴史あり。グラウンドにも歴史あり。何事も、先人の情熱や苦労があったからこそ、今がある。

 6月20日、大工大の枚方キャンパスグラウンドを訪ね、それを再確認した。ラグビー部監督在任中の17年6月19日に、59歳で亡くなった大工大高―明大の名FB、橋爪利明さんの追悼植樹式が、その日あった。グラウンドの一角に植えられたヒマラヤスギを中心にして、関係者、指導を受けた最後の世代の4年生が扇状に並んだ。参加者の背後には、橋爪さんが育てた芝生が青々と広がっていた。

 亡くなる1年前の16年夏、小石が転がるラガーマン泣かせのカチカチのグラウウンドに、チームにゆかりがある人が集まった。大工大ラグビー部員、橋爪さんの母校である大工大高、今の常翔学園高の部員など。手作業で苗を植えた。大人数で、2日かかった。

 芝生化を発案し、初期費用の自腹を切り、整備を続けて緑を根付かせたのが橋爪さんだった。しかし、翌年、試合ができるまでに生えそろった時には、既に帰らぬ人となっていた。

 「橋爪が毎日のようにここに来て芝を枯らさなかった。言わば、命を懸けてつくったグラウンド。こうして植樹をしてチームの歴史に刻むことで、忘れずにいられると思う」

 常翔学園の野上友一監督(63)は、式のあいさつでそう語った。人は忘れやすい生き物だ。どうか語り継いでほしい。そんな願いが込められていた。

 2人は盟友だった。大工大高の同級生。在籍した70年代半ばは、全国大会の常連になり始めたころ。全国優勝5度の名門の土台を、選手として一緒につくった。「橋爪はコウダイ(大工大高)から初めてメイジ(明大)へ行って、1年からレギュラー。指導者になりたいと言って、社会人に進まなかったけど、続けていれば日本代表になっていたと思う。それぐらいすごい選手だった」。大学卒業後はともに母校に戻り、野上監督がFW、橋爪さんがバックスのコーチとして支えた。

 大工大の学長で部の顧問、益山新樹さん(63)が監督時代の姿を懐かしんだ。「学生主体という言葉を常々口にされていました」。試合が始まれば、監督の存在は小さくなり、選手主体で動くのがラグビー。状況判断と意思決定が大切であり、それは社会に出てからも同じだ。橋爪さんのモットーは、別の参列者からも伝わった。

 「小学生の指導でも、子どもが大きくなった時のことを考えて、自分で考えてプレーをさせないといけないと話していた。技術は後から付いてくると」

 「まさにこのグラウンドのこと」と名将・野上監督がうなづく。「思わないことには、思ってもやらないことには、コトは動かない。橋爪が示してくれたことやね」。

 大工大のSO・CTBの藤野大悟主将(4年)は「素晴らしい環境をつくってもらった。自主性を大切にして戦いたい」と部に根付く精神を口にした。主に土日にこの芝生で練習をして力を付けた。昨季、関西Cリーグから昇格。手作りグラウンドの重みをかみしめながら、今季、Bリーグに挑む。(倉世古 洋平)

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