県浦和 悲願の初勝利! 東大合格41人の進学校 3度目の花園で快挙 松永主将が決勝トライ

[ 2019年12月28日 05:30 ]

第99回全国高校ラグビー第1日・1回戦   県浦和5―0玉島 ( 2019年12月27日    東大阪市・花園ラグビー場 )

<県浦和・玉島>後半、タックルを受けながら突進する松永主将(撮影・井垣 忠夫)
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 開会式と1回戦8試合が行われ、全国屈指の進学校として知られる県浦和(埼玉)が玉島(岡山)を5―0で破り、3度目の花園で悲願の初勝利を挙げた。両校無得点のまま迎えた後半15分、モールを押し込み3年生部員13人中、唯一のラグビー経験者として入部したNo・8松永拓実主将が値千金のトライ。ラグビーが校技の1895年(明28)創立の伝統校に新たな歴史を刻んだ。

 1959年(昭34)の初出場からちょうど60年。届かなかった花園1勝をたぐり寄せたのは自慢のモールだった。0―0で迎えた後半15分、相手陣内22メートルラインのラインアウトからモールで進撃。一度は止められたが、ゴール前に迫って再び形成。最後は松永が押し込み、残り15分間、虎の子の5点を守り切った。

 「今までのOBの方々の積み重ねの上に、歴史をつくることができてうれしい」。殊勲の松永はほほ笑みながら語った。前半にはゴール前のモールを止められ得点できず。ハーフタイムには修正点を話し合い、軸をずらす工夫で後半は押し切った。「思ったより対策された」と反省した同校OBで就任2年目の三宅邦隆監督も「風上の前半が0―0で厳しいと思ったがよく頑張った」と称えた。

 松永は4歳の頃にラグビーを始めたが、同期の部員12人は全員が初心者。6年前の13年度、54年ぶりの出場を果たした同校に憧れて進学したものの、当初は「大丈夫かな?と思った」と花園の“は”の字も見えない中でスタートした。「まずはルールを教えることから始めた」と自ら先生役になり、基本スキルも率先して手本を示した。

 本当は「人見知りで口べた」だが、入学時には中学時代の知り合いを積極的に勧誘。ロック梯(かけはし)は卓球、WTB吉村は空手からの転向だったが、花園第1グラウンドの開幕試合で堂々とプレーするまでに成長。殻を破り、振り絞った勇気が最終学年で結実し、「今では互いに高め合える仲間になった」と感謝した。

 受験シーズンが目前に迫る中、今月24日の大阪入り後も勉強時間を確保する。テキスト6冊を持ち込み、練習後や就寝前に机に向かう松永の志望校は早大。「ラグビーを続けるかは決めていない。それよりもこのチームでは最後なので」。間違いなく一生に一度の時間を、今は楽しむだけだ。 

 ▽県浦和 1895年に創立の公立校で、来年125周年を迎える埼玉の男子校。ラグビー部は1946年に創部。毎 年東大合格者を多数輩出し、今年度は都立日比谷高に続く公立2番手。文武両道を意味する「尚文昌武」を校訓に掲げ、弓道部や水泳部などの運動部が全国大会で実績を残している。OBに宇宙飛行士 の若田光一氏(56)ら。

 【東大合格者数で全国15位】昨年の東大合格者の高校別ランクでは、開成、麻布など私立の難関進学校が上位を占めた。県浦和は18年度41人(うち現役合格者数は19人)の合格者を出し、全体の15位に入っている。公立では日比谷(東京)に続く2番手。埼玉県内の学校としては唯一のランク入りを果たしている。

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