アポロ11号の月面着陸から50年 半世紀前に経験したそれぞれの1日 そして学んだもの

[ 2019年7月17日 11:32 ]

月面着陸の模様をテレビで見つめる日本の家庭(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】時系列の記憶はおぼろげだが、小学校が主宰した夏のキャンプに出発する前日だったような気がする。川遊びに備えてバッグに水着を詰め込みながら朝から見ていたのは白黒の画面だったテレビ中継。ちょうどお昼ごろだっただろうか…。ニール・アームストロング船長が月面に降り立つ場面を10歳の少年は興奮しながら見つめていた。父も母も出かけて不在。地球の歴史で最も重要な場面のひとつだったにもかかわらず、アポロ11号という名のロケットに興味を抱いていたのは家族の中で、SFのテレビドラマ「宇宙家族ロビンソン」と特撮ヒーロー「ウルトラセブン」を毎週楽しみにしていた私だけだった。

 東京では街頭で号外が配られて多くの人が群がっていたのだという。しかし私が住んでいたのは福岡県の北九州市。当時の人口は104万人だったものの、私の家は町の中心部から離れた山の麓にあり、近所に号外を配る奇特な?新聞社の社員などいなかった。
 
 着陸船イーグル号が月面に“タッチダウン”したのは米国東部時間の1969年7月20日の午後4時17分。その6時間39分後にアームストロング船長が船外に出て、やがて「That’s one small step for(a)man、one giant leap for mankind」という名句を口にする。もちろん英語の記憶はなく、私の頭の中にあったのは「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍である」という日本語。不定冠詞の「a」が録音されなかったというようなエピソードは何十年もあとになって知ったことだった。

 世界が沸き立った歴史的な1日。ただし米国ではありふれた“日常”がすべて消えていたわけではなかった。北米4大プロスポーツの中で大リーグだけがシーズン中だったのだが、こんな世紀の瞬間が待っていたにもかかわらず、この日は15試合を消化。スポーツはスポーツで我が道を突き進んでいた…ように見えた。しかしあれから50年が経過した今、残っている資料を見て、選手たちの心理が少しだけ垣間見えたような気がした。「なんだ。10歳の少年と同じじゃないか…」。

 日曜日だったその日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで行われたフィリーズ対カブス戦はダブルヘッダー。第1試合の開始は午後1時5分だった。試合はカブスが1―0で勝利。通算284勝(226敗)を挙げて殿堂入りも果たしている黒人投手のファーガソン・ジェンキンス(当時26歳)が7安打で完封し、このシーズンの13勝目を挙げている。驚いたのは試合時間。昔の野球の試合は現在よりも短かったのは確かだが、この試合に要したのはわずか1時間53分。カブスが起用した選手数は9人で、つまり控え選手は誰も登場しなかった。第2試合もカブスが6―1で勝っているのだが、両軍併せて18安打が記録されているにもかかわらず、試合時間は2時間30分。この日、各地で行われた全15試合中8試合が2時間30分以内で終了しているのは、みんな月面着陸の中継を見たくて一刻も早く自宅、もしくはホテルに帰りたかったのでは…と思わせる一面だった。

 月面着陸の日に勝利投手となったジェンキンスは、実は歴史的なスポーツ選手でもある。カナダ・オンタリオ州の出身で、カナダ出身の選手として初めて殿堂入りした人物。大リーグの歴史に名を刻む黒人選手としてはすぐにジャッキー・ロビンソンの名前が挙げられるが、今年の12月で77歳になるジェンキンスは違った形で時代を駆け抜けた1人だった。なぜなら1967年から69年まで、彼は大リーグがオフ・シーズンに入ると、米国内で人気があったショー・バスケットボールの「ハーレム・グローブトロッターズ」の一員としてプレー。もし“二刀流”という言葉がスポーツ界で当時も使われていたなら、彼はその元祖に近い存在だった。

 アポロ11号の着陸から50年。この原稿を書かなければ、私はショーバスケをこなしていたカブスの元エースには出会えなかった。もしお会いできるなら、ぜひあの日の心境を聞いてみたいものだ。そしてアームストロング船長が口にした「Leap」という言葉は記者になってから私自身も使うことになった。

 1992年のバルセロナ五輪に出場した男子バスケットボールの米国代表、いわゆるドリームチームには当時トレイルブレイザーズに所属していたクライド・ドレクスラーがいたのだが、米国のメディアは跳躍力抜群の彼を「High(もしくはVertical)leaper」と呼んでいた。中学でも高校でも「Leap」の意味と使い方は授業で習った記憶がないが、「心が躍る」という意味まであるこの単語は、マイケル・ジョーダンを語る上でも欠かせない言葉になった。

 宇宙とスポーツでは同じチームにいる限り、勝つために、そして成功させるためにその場にいる全員が心をひとつにする。それは米航空宇宙局(NASA)の管制室を埋め尽くすスタッフの数を見ればわかる。少年時代は月面のことしか理解できなかったが、そこに至るまでこのミッションを遂行させるまでにどれだけの人が汗を流し、知恵をふり絞ったか…。映画にもなったアポロ13号(1970年)は酸素タンクの爆発で危機的状況に陥ったが、それを救ったのは地球という星に残っていた人間の奮闘だった。宇宙開発に関わるすべての国に共通するのは、この強固なチームワークの存在。失敗があってもそれを責めるのではなく、創意工夫によってピンチを切り抜けることを“日常”だと認識することは、スポーツ界の指導者にとっても踏まえておかなければいけない教訓だろう。

 あの日のキャンプでは川で遊び、バンガローという名の朽ちかけた木の小屋の中では同級生と騒ぎすぎて先生に怒られた。誰もアポロ11号の話はしなかったと思う。だから私だけが浮いた存在のような感じだった。その後は早朝はラジオ体操、午前中は山でセミを獲り、午後は野球に明け暮れる日々。宿題はたまっていくばかりだった。ようやく「そろそろ勉強をしなくては」と思い立ったのは8月18日。しかしテレビのスイッチをつけたのが間違いだった。

 見てしまったのは夏の高校野球、全国選手権の決勝。甲子園では松山商と三沢が延長18回に及ぶ激闘を演じ、勉強どころではなくなった。翌19日の再試合で松山商が勝つまで私の心は「Leap」したまま。半世紀前の夏は私にとって、決して小さいとは言えない人生の“第一歩”だった。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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