棒高跳び 山本、東京で五輪2度の「記録なし」鬱憤晴らす 引退申し入れからの新たな挑戦

[ 2019年5月22日 09:30 ]

2020 THE PERSON キーパーソンに聞く

棒高跳びのポールを手に、東京五輪での雪辱を誓う山本聖途(撮影・久冨木 修)
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 陸上の男子走り高跳び、女子やり投げで相次いで日本新記録が誕生するなど、20年東京五輪を前に男子短距離に負けじとフィールド種目も熱を帯びてきた。男子棒高跳びで12年ロンドン、16年リオと五輪2大会連続出場しながらも、ともに「記録なし」で大会を後にした山本聖途(27=トヨタ自動車)は東京五輪で2大会分の鬱憤(うっぷん)を晴らそうと燃えている。日本記録更新に近いと評されながらも、失意のリオ五輪後に一時引退を決意。再びポールを握ることを選択した男が地元五輪で大ジャンプを誓う。

 2016年8月13日、ブラジル・リオデジャネイロの五輪スタジアム。山本にとって人生2度目の五輪は3回の試技だけであっけなく幕を下ろした。日本屈指の実力者ながらロンドン五輪に続く「記録なし」の結果に「リオ五輪が終わったら、競技をやめようと思っていたんです。完全燃焼していて、競技はもういいかなと思っていた」と明かす。

 最初の五輪は12年ロンドン。人生初の海外試合だったため、メジャーの表記が見慣れたメートルではなくフィートだったというささいなことにも動揺した。その反省を生かし、13年モスクワ世界選手権では日本勢史上最高の6位入賞。そこから16年リオ五輪を最大目標に、できる限りの練習を積んで臨んだが、ロンドン五輪の悪夢がフラッシュバックしたという。

 「試合が始まってからロンドンを思い出してしまい、体が硬くなった。やれることはやったし、ここで終わりで良いんじゃないかと思った」

 沢野大地が持つ5メートル83の棒高跳び日本記録の更新に最も近いとされた男の心が折れた瞬間だった。試合の翌日、引退の意向を日本陸連強化コーチの小林史明氏(44)に伝えた。

 すると、思いも寄らぬ言葉が返ってきた。「“完全燃焼しているの?この結果で満足しているの?”と言われました。その時100%の気持ちで満足しています、と言えなかったんです」。山本には専任の指導者はおらず、主に1人で練習してきた。くすぶる気持ちを見透かしていた小林コーチは「おまえを見られるのは俺しかいないぞ」というラブコールとともに、五輪直後の9月中旬にフランスの試合にエントリーしたことを伝えた。「小林コーチの一言がなかったら、今頃はここにいなかった。工事現場で働いていたかもしれません」と苦笑いする。

 東京五輪への第一歩はリセットだった。ポールの持ち方や助走のリズムなど、山本が良いと思っていた武器を全て捨て、専任コーチとなった小林氏の指導を一から受け入れた。助走のリズムもこれまでの徐々に上げていくスタイルから、序盤から最後までスピードを持って走り切る方法に変更。「リオで終わってやめようとしていた僕には、失うものは何もなかった」と新たなスタイルを受け入れて、昨年はアジアのタイトルもつかみ取った。

 一番変わったと自覚しているのは勝負に対する姿勢。海外遠征で小林コーチが海外選手の動きや練習をじっくり研究している姿を目の当たりにした。「自分よりも熱い気持ちをコーチが持っていた。それに応えたいなと思いました」とより身を入れて練習に励むようになった。

 同期の選手も大きな刺激になる存在だ。同じ跳躍種目の男子走り高跳びの戸辺直人(27=JAL)が2月に2メートル35の日本記録を更新したことに大いに刺激を受けたという。快挙を祝福すると、戸辺からは「今度は聖途の番だよ!」との返信。「凄く感動しました。でも同い年で悔しい気持ちにもなりましたよ」とハートに火が付いた。

 愛知・岡崎城西高時代から戸辺の存在は知っていたが、当時から世界を経験していた戸辺に対して「僕はインターハイ入賞程度。そこまで接点がなかった」。社会人になってナショナルトレーニングセンターでの跳躍合宿などで意気投合。「競り合いというよりは、一緒に陸上界を引っ張っていこうぜという感じですね」と切磋琢磨(せっさたくま)している。

 昨年、サッカー元日本代表の本田圭佑(メルボルンV)が所属する事務所とマネジメント契約した。山本も本田の生き方に感銘を受けるアスリートの一人。3月に広島で行われたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を観戦し、ゴールを決め切る姿にも「インパクトがあった。あそこで決めるのがスター」と興奮した。

 一度だけ本田流のスケジュール管理を実践したことがあった。本田を参考に朝ご飯から休憩時間、勉強など事細かに組み立てた。ただ、朝練を始めた途端にケガをしたといい「特に時間がないわけじゃないので、細かくやり過ぎなくてもよかった。僕には本田流は合っていなかったかも」と苦笑いする。

 今季、両膝痛で始動が遅れたために本調子はまだ先だ。4月のドーハ・アジア選手権では思うような結果が残せなかったが、4月28日の織田記念では5メートル61で優勝。5日後にドーハで行われたダイヤモンドリーグでも5メートル61で3位に入るなど、出遅れを取り戻すように調子は上向いてきた。

 「今度の東京はリベンジです。2大会分をぶつけてやろうと思っています。記録なしで終わるとつまらないですから」

 開催まで429日に迫った東京五輪。日本の“セイト・ヤマモト”が三度目の正直で世界を驚かせる。

 ◆山本 聖途(やまもと・せいと)1992年(平4)3月11日生まれ、愛知県岡崎市出身の27歳。岡崎城西高―中京大卒。小学校時代はサッカー部。中学で長距離を始め、2年時に棒高跳びに転向した。18年ジャカルタ・アジア大会は5メートル70で金メダル。自己ベストは5メートル77。趣味は映画観賞。尊敬する人物は本田圭佑。名前には元陸上選手の両親の「五輪の聖火台に向かって一途(いちず)に頑張れ」の思いが込められている。1メートル81、73キロ。

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