稀勢の里 3場所33勝に届かず…それでも大関昇進

[ 2011年11月28日 06:00 ]

<九州場所、15日目>稀勢の里は琴奨菊に渡し込みで敗れた

大相撲九州場所千秋楽

(11月27日 福岡国際センター)
 稀勢の里(25=鳴戸部屋)の大関昇進が27日、事実上決まった。千秋楽の琴奨菊戦では敗れたが、昇進問題を預かる相撲協会審判部がその結果を待たずに、昇進を諮る臨時理事会を30日に開催するよう放駒理事長(元大関・魁傑)に要請し、理事長も承認した。場所前に師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が急逝するショックを乗り越え、稀勢の里が悲願の大関昇進を果たす。
【取組結果 星取表】

 大関の座は手に入れた。取組前に審判部が、稀勢の里の大関昇進を諮る臨時理事会の開催を放駒理事長に要請。大関昇進が事実上決まっていた。“新大関”として視線を浴びた。だからこそ勝ちたかった。だが気合は空回りした。琴奨菊に一気に攻め立てられ、土俵下に転がり落ちると右の拳で床を叩いた。支度部屋でもショックを隠しきれず悔し涙を流し、30分以上も沈黙を通した。

 「大関に上がりましたけど、きょうの相撲だと上に勝てない。もっと力をつけないといけない」。悔しさをにじませた。

 昇進の目安となる11勝に届かなかった。ただ過去6場所中5場所で2桁勝利した安定感、相撲内容への評価は高い。30日の理事会と番付編成会議を経て昇進が正式決定する。中学卒業後に角界入りした叩き上げの大関誕生は、00年秋場所に昇進した魁皇(現浅香山親方)以来実に11年ぶりだ。

 「亡くなった師匠にいい報告ができる。ここまで育ててくれた感謝、ここまで来られた感謝を伝えたい」。場所前に急死した先代の鳴戸親方は厳しかった。取組後には毎日結果を報告したが、説教は2時間を超えることも。「師匠が世界で一番怖い。立ち合いの変化なんかをすると殺されますよ」と漏らしたことがある。「真面目に一生懸命やることを師匠から教えてもらいましたから」。遺志は受け継いでいる。

 秋場所後、大関昇進を確信した故鳴戸親方は昇進伝達式用の羽織はかまを新調した。弟子には内緒。ばれないよう九州にも持参しなかったが、千葉県松戸市の自宅で試着した際には典子夫人に「似合うか?」とうれしそうに話した。11日の告別式で故鳴戸親方はその羽織はかまをまとい天国へ旅立った。「もう一つ上(横綱)を目指すためには力をつけ、自分で甘えないでやるしかない」。供養の場所で恩返しはできた。あとは師匠の言葉を忘れず頂点を目指す。

 ▼鳴戸親方(元幕内・隆の鶴) こういう結果でも、稀勢の里は一生懸命やりましたから。まずは師匠(先代鳴戸親方)に報告です。

 【稀勢の里アラカルト】

 ☆生まれ 本名は萩原寛(はぎわら・ゆたか)。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身の25歳。

 ☆家族 父・貞彦さん(65)、母・裕美子さん(56)、姉・央恵(ひさえ)さん。

 ☆野球少年 龍ケ崎市立松葉小3年時から「龍ケ崎ハリケーンズ」に所属し野球を始める。長山中時代も野球部に入りエースで4番。

 ☆スピード出世 17歳9カ月での十両昇進は貴花田(元横綱・貴乃花、現貴乃花親方)に次ぐ歴代2位の年少記録。18歳3カ月での幕内昇進も貴花田に次ぐ歴代2位。だが、大関昇進は所要42場所で史上5位のスロー出世。

 ☆しこ名 新入幕時に改名。故鳴戸親方(元横綱・隆の里)が現役時代に福井・永平寺の貫主・秦慧玉(はた・えいぎょく)さんから贈られた書「作稀勢(さきせ)」から引用し「稀(まれ)なる勢いをつくってほしい」と名付けた。

 ☆趣味 スポーツ観戦。アメリカンフットボール、ボクシングなど。

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