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工藤さんほど「誠実」という言葉が似合うアスリートはいなかった

[ 2022年10月22日 01:26 ]

2013年、ザックジャパンで東アジアカップを制しトロフィーを手に笑顔を見せるFW工藤壮人さん
Photo By スポニチ

 【悼む】30年近くになるスポーツ記者生活で多くのアスリートを取材してきたが、個人的には工藤壮人さんほど「誠実」という言葉が似合う男はいなかったように思う。

 取材したのは柏時代の2013年だけ。人事異動でシーズン終盤に担当を離れ、1年にも満たない短期間ながら、若きエースの取材機会は多かった。練習場に顔を出すたびに何かしら話しかけた気がするが、イヤな顔をされたことは一度もなかったと記憶している。取材する機会が増えると、そのときの状況や気分次第で面倒そうなリアクションをされても仕方ないのだが、そんなことはなかった。

 練習後に試合後、勝っても負けても疲れていても、声をかけられれば必ず足を止め、質問者に顔を向けて応対。非公開だった練習試合で得点したと聞き、状況を確認しようと1対1で話を聞くと、身ぶり手ぶりを交えて説明してくれた。婚姻届提出直後の試合に敗れた際は、取材の流れで出てきた結婚に関する質問に首を横に振ったが「今はそういう気分ではないので」と丁寧に言葉を添えることを忘れなかった。読者プレゼント用のグッズをお願いすると、適度に使用感が漂うきれいなシューズを選んで「匂わないかな?」と苦笑し「せっかくだから」と左右の両足分にそれぞれサインをしてくれた。

 13年は工藤さんが選手人生で大きな節目を迎えた1年だった。東アジア杯で日本代表デビューを果たして4試合で2得点。年代別の代表では10年アジア大会を制したU―21を経験していたが、当時はJリーグの控え組や大学生中心のチームで7試合中3試合の出場で無得点に終わっていた。

 「2軍と言われている中でも出られなかった。(自分の中で)代表に選ばれて戦った経歴には入っていない」

 12年ロンドン五輪出場権を争ったU―23ではアジア予選の出場がなく、出場権を獲得した試合で招集されながら、喜ぶ仲間を横目に「心の底から喜べない悔しさがあった」という。本大会のメンバーにも選ばれなかった。

 それでも「そういう(喜べない)気持ちを糧にしてきた」と成長を続け、柏でエース番号9を引き継いだ13年はキャリアハイのリーグ戦19得点を記録。日本代表デビューに加え、レイソルをアジア・チャンピオンズリーグ4強、ナビスコ杯制覇にも導いた。そんなシーズンを取材できたことは幸運だったと思う。

 病に倒れたという今回の報道を受け、負けん気をバネにもう一度ピッチに戻ってくることを願っていたが、あまりにも早い32歳での訃報。心から冥福を祈りたい。
(元柏担当 東 信人)

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2022年10月22日のニュース