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【独占手記】上田栄治氏 “高倉ワールド”が女子サッカーに再び火をともす

[ 2021年7月22日 05:30 ]

なでしこジャパンの合宿地を背に、高倉監督の思いを語るJヴィレッジ上田栄治副社長
Photo By スポニチ

 04年アテネ五輪を率いた元なでしこジャパン監督で、高倉監督を指導者の道へと導いた上田栄治氏(67=現Jヴィレッジ副社長)が独占手記を寄せた。

 2004年に高倉さんが現役引退後、育成年代の指導者になってもらえないか声を掛けさせてもらった。当時、日本代表で少女たちの模範を見せられるコーチが少なかった。高倉さんは日本代表になり、米国でもプレーしたことがある。そういった選手がコーチになり、ユース年代の選手を指導する。手本を見せられるコーチになってほしかった。

 高倉さんが初めて年代別で指揮した14年のU―17コスタリカ大会に、団長として同行させてもらった。もう“高倉ワールド”全開でした。両サイドハーフと両サイドバックを反対にしたことがあってね。大胆なことをするなと思ったが、それがまんまと成功した。サイドバックからハーフに上がった選手が点を取って勝った試合があり、決勝はスペインを支配しながら2―0で勝った。普通では考えられない感性を持っているなと、感じましたね。

 16年リオ五輪のアジア最終予選後、高倉監督にバトンが託された。その時の時代の流れ。当時、私も女子の強化担当で関わっていたが、佐々木監督は長くなでしこジャパンの監督をやっていた。しかも、高倉監督は4年連続でAFCの年間最優秀コーチを獲っていた。そろそろ、女性でやろうと機運も高まっていた。ふさわしいなと思いましたね。

 日本は00年のシドニー五輪に出られず、日本の女子サッカーの人気が一気に落ちた。私が02年に監督に就任した時、04年のアテネ五輪は絶対に出ないと、女子の火が消えてしまうというミッションを持って臨んだ。今度も前回のリオ五輪は出場できず、高倉監督は秋に開幕する「WEリーグ」への火をつけるというミッションを持って臨んでいると思う。

 震災から10年。聖火リレーも福島のJヴィレッジから、なでしこジャパンがランナーとしてスタートした。そんなドラマにもないようなつながりがあり、本当に感慨深いと思う。ぜひ、成功してほしいと願っている。(なでしこジャパン元監督)

 ◇上田 栄治(うえだ・えいじ)1953年(昭28)12月22日生まれ、千葉県出身の67歳。千葉県立薬園台高、青学大を経て76年にフジタ工業入り。83年に引退後、コーチに就任。99年に平塚監督就任。マカオ代表監督を経て02年になでしこジャパン監督に就任し、04年に退任。

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2021年7月22日のニュース