【日本ダービー】ビーアストニッシド 飯田雄厩舎・佐々木助手19年越し夢舞台「感慨深い」

[ 2022年5月27日 05:30 ]

ビーアストニッシドと佐々木助手(撮影・亀井直樹)
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 誰もが憧れる夢舞台。ビーアストニッシドを担当する佐々木助手は狭き門をくぐり抜けた。01年に開業した飯田雄厩舎にとって念願の初ダービー。佐々木助手は「厩舎の解散まで残り2年を切った。僕も先生(飯田雄師)もダービーとは縁がないのかなと思った時もあったが、頑張ってきて良かった。感慨深いものがある」と思いを口にした。

 キングカメハメハがNHKマイルCとダービーを制した04年。開業4年目の飯田雄厩舎はミスティックエイジでダービー出走の可能性があった。デビュー2連勝で京都2歳S(当時オープン)を制した逸材で、担当していたのが佐々木助手。牡馬クラシック1冠目の皐月賞は5着。現在なら5着以内にダービー優先出走権が与えられるが当時は4着まで。惜しくも権利を逃した。それでも諦めることなく、東上最終便・京都新聞杯でラストチャンスに懸けたが、3着で賞金を加算できず。「あれほど悔しい思いをした年はない」。出走は夢と散った。

 ダービー当日。ミスティックエイジはこの年で最後の開催となり、残念ダービーと言われた駒草賞(3歳限定オープン特別)に出走した。道中4番手から抜け出し、1着でゴール。意地の勝利だった。レース後、手入れの最中にスタンドから地鳴りのような大歓声が湧き上がる。場内のボルテージは最高潮に達した。

 「ダービーが始まると、すぐに分かった。うまくいけば、あの舞台に立てていたのかと思うと涙が出そうなくらいつらかった。絶対に自分が出るまで現場(東京競馬場)でダービーを見るのはやめようと。あれから長いようで早かった」

 04年に佐々木助手のダービー物語は始まった。あれから18年。ついに夢舞台に立つことができる。「簡単に出られるレースじゃないし、年を取れば取るほどダービーの重みが分かる。まずは出走できることに感謝です」と胸を張る。

 相棒のビーアストニッシドは前々走・スプリングSで重賞初制覇。前走・皐月賞11着を除けば、一度も掲示板を外したことがない堅実派だ。「前走はスムーズさを欠いて消化不良の内容だった。勝負根性とタフさが持ち味。東京2400メートルをこなしてくれると信じる」。19年に誕生したサラブレッドは7522頭。そのうち、わずか18頭しか出走できないのが競馬の祭典・ダービーだ。当日、目にする18年前とは違った景色は、きっと一生の宝物になる。

 ◇佐々木 良樹(ささき・よしき)1975年(昭50)7月11日生まれ、滋賀県出身の46歳。競馬一家で育ち、祖父・牧之助さんは68年皐月賞馬マーチスを担当していた。栗東高校で馬術部主将を務め、19歳で栗東トレセン入り。湯浅三郎厩舎、中村好夫厩舎を経て現在の飯田雄三厩舎へ。芝1200メートルでオープンを2勝し、02年スプリンターズSで5着に入ったゴールデンロドリゴ、06年黄菊賞でウオッカを負かしたマイネルソリストなどに携わった。

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2022年5月27日のニュース