“名古屋のママさん”宮下「女性として誇り。緊張楽しんで」

[ 2019年2月15日 05:30 ]

菜七子G1初騎乗記念連載(最終回)

藤田菜七子(左)と宮下瞳
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 フランス人画家ドラクロワが描いた「民衆を導く自由の女神」を見ると、名古屋競馬・宮下瞳の姿が重なる。11年に一度ムチを置いたが、16年現役復帰。日本人女性騎手の最多勝利記録を更新し続け、さらに国内唯一のママさん騎手として活躍する。まさに女性騎手たちを引っ張る先駆者だ。

 そんな宮下がなぜ一度は引退したのか。「釜山にいる時に義母の具合が悪くなり看病のため帰国。釜山で騎手としてはやりきった感覚もあった。そんな気持ちの時にちょうど子供を授かった」。親の介護や出産は人生において誰にでも起こり得ること。家族を思い一線を退いた。

 だが、戦いの場に宮下を戻したのもまた、家族の一言がきっかけだった。「長男が部屋に飾ってある私の写真を見て“これ誰?”と。ママだよと言うと“僕もママが馬に乗るところを見てみたい”って。その一言でもう一回乗りたいと思った」。同じ名古屋の騎手だった夫の小山(17年引退)にも背中を押され復帰を決めた。

 騎手免許試験の再受験を決めてから宮下の行動は早かったが、周囲の目は冷ややかだった。「家族以外はほぼ“子供がいるのに”と反対。とにかく分かってもらえるように手を抜かない努力をした」。引退後は馬にノータッチだったため約1年、まずは厩務員として現場復帰。午前1時すぎから厩舎作業や調教をこなし、終われば子育てと家事、午後作業もあり睡眠時間は2、3時間。「大変でもうできない(笑い)。厩務員さんの気持ちも分かったし、父や義父、自厩舎の厩務員さんなど周りに助けてもらってできた」

 「昔は騎手が多く、追い比べで負けたりすると代えられ、女だからと思ったこともあった。それなら一頭でも他の人より多く調教に乗ろうと頑張った。出産は女性にしかできない。菜七子ちゃんを見て騎手になりたいと思う女の子も増えるだろうし、ちゃんとした産休制度があればいいと自分の時を振り返って思う」。後輩たちが進む道が少しでも良くなるようにと思いやった。

 「以前は勝ちにこだわってピリピリしていたが、復帰後は楽しく乗れるようになり、周りも見えるようになった」と自身は復帰後、充実の騎手生活を送る。子供たちが「格好いい」と喜んでくれるのが何よりのパワーになる。「せっかく復帰したから1000勝できたら格好いい。乗れるだけ乗って重賞も勝ちたいし、G1は乗ったことがないから乗りたい。菜七子ちゃんが勝っていない時に“勝てないから楽しくない。どうしたらいいか”と聞かれたことがあって、気持ちを切り替えてレースは楽しく乗った方がいいと話した。G1騎乗は女性として誇り。緊張も楽しんで」

 絵の女神は無表情だが、後輩を鼓舞する宮下は強くしなやかに、笑顔で馬にまたがる。

 ◆宮下 瞳(みやした・ひとみ=現姓小山)1977年(昭52)5月31日生まれ、鹿児島市出身の41歳。名古屋競馬・竹口勝利厩舎所属。95年10月22日、名古屋1R(オブラディオブラダ=9着)でデビュー。同24日、名古屋6Rショウワミラクルで初勝利。05年に同僚騎手の小山信行(引退)と結婚。同年7月に通算351勝目を挙げ、吉岡牧子が持つ350勝の女性騎手最多勝利記録を更新。09年8月〜10年9月まで韓国・釜山競馬で騎乗。11年8月に引退。12年に長男、14年に次男を出産。16年7月に騎手免許試験に再び合格し、同8月17日に現役復帰した。現在も女性最多勝記録を更新し続けている。地方9256戦767勝、JRA2戦0勝(14日終了時点)。1メートル52、血液型A。休日は2人の子供と任天堂Switchの大乱闘スマッシュブラザーズで遊ぶ。

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