野宮真貴 ピチカート・ファイヴ加入決めた小西康陽のかっこ良すぎる口説き文句「グラっときて」

[ 2022年8月20日 18:46 ]

野宮真貴(2015年撮影)
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 ミュージシャン野宮真貴(62)が、20日放送のTOKYO FM「SUBARU Wonderful Journey~土曜日のエウレカ~」(土曜後5・00)にゲスト出演し、01年に解散した「ピチカート・ファイヴ」に加入したいきさつを語った。

 1984~01年に活躍し、「渋谷系」の元祖とも呼ばれた音楽グループ。ポップな音楽性とファッションを融合させ、絶大な人気を誇った。野宮が加入したのは90年で、ボーカルとしては佐々木麻美子、田島貴男(ORIGINAL LOVE)に次ぐ3代目だった。

 野宮は81年にソロデビューしたものの、「思うように売れず、1年で契約が切れ…」と、ミュージシャン人生はいきなり苦難のスタートだった。82年にバンド「ポータブル・ロック」を結成。こちらも「それもなかなか鳴かず飛ばずで」とぶっちゃけた。

 「バンドをしながらもCMソングを歌ったり、他のアーティストのコーラスをやったり、音楽に携わりながらバンドを続けていた」という野宮。特にCMソングは「100曲くらい歌ったんじゃないか」といい、「紙おむつのCMはほぼ全社やりました」とも告白した。パーソナリティーの「麒麟」川島明は、「知らない間に野宮さんの歌声を浴びてた」と驚いた。

 そんな中、バンド仲間がピチカートのアルバム制作で呼ばれ、野宮も「見学したいなと思って」レコーディング現場を訪れたという。その時にピチカートのリーダー小西康陽と初めて会い、その場で「“1曲、田島君と歌ってくれないかな?”という話になって。ノリに近かったですね」と飛び入り参加。その後もレコーディングやツアーにコーラスとして参加するようになったという。

 ある日、田島がORIGINAL LOVEの活動に専念するため、脱退することに。すると、野宮は小西から連日、熱烈な誘いを受けるようになったという。「小西さんから“メインボーカルをやってくれないか?”と、毎日電話がかかってくるようになって…」。さらに小西から、心を大きく揺さぶられる口説き文句をもらったという。「最後には“君をスターにしてみせるから”って言われたので、まだポータブル・ロックもやってたんだけど、ちょっとその言葉にグラっときて」と振り返った。

 野宮にとって当初は「コーラスの仕事の1つくらいだった」というが、「歌っていくと、やっぱり素晴らしい楽曲だった」と、小西の紡ぎ出す音楽性にあらためて共感したという。さらに「曲だけじゃなくてセンスも合ったんですよね。好きな映画とか、おしゃれとか、価値観が。なので、ちょっとやってみたいなと思いました」と明かしていた。

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2022年8月20日のニュース