「巨人の星」の川崎のぼる氏 さいとう・たかをさんは「面倒見のいい人」、過去にアシスタント経験

[ 2021年9月30日 05:30 ]

さいとう・たかをさん死去

17年、スタッフ(左)と分業しながら作画を進めるさいとう・たかをさん
Photo By 共同

 さいとうさんが漫画を描き始めた1950年代半ばの大阪では、当時の日本を席巻していた“漫画の神様”手塚治虫らの児童向け漫画とは、別の動きが盛り上がりを見せていた。貸本漫画店向けの単行本で、大人向けのテーマを写実的なタッチで描く「劇画」だ。そんな中、さいとうさんは劇画家仲間を束ねて劇画家集団を形成。多くの人材を育て、今に続くストーリー漫画全盛の礎を築いた。

 「巨人の星」「いなかっぺ大将」などで知られる漫画家の川崎のぼる氏(80)は、中学卒業後間もない頃「2~3カ月」アシスタントを務めた。スポニチ本紙の取材に「部屋にたくさん人を集めてデッサンをやったり、アイデアを出し合ったり…面倒見のいい人でした」と回想。当時の仲間たちは、フランスに端を発し日本でも広まった、若い監督による映画運動「ヌーベルバーグ」と劇画を重ねていたそうで「中でも“ヌーベルバーグを漫画でやる!”という、さいとうさんの姿が印象的でした」と、エネルギッシュな姿に感銘を受けたと語った。

 58~59年、さいとうさんに師事した漫画家の南波健二氏(81)は「アシスタントではなく弟子。同じ物を食い、同じ物を見る分け隔てないスタイルで接してもらった」と振り返った。

 「優しい先生で、面倒見がよかった」と語る半面「実はあまり仕事を教えてもらってない」と笑う。さいとうさんは当時、ネーム(原稿の大まかな下書き)を描き終えるとすぐ仕事場を出ていってしまったといい、ペン入れは南波氏がすることが多かった。

 しかし絵の腕前は当時から筋金入り。「何を描かせてもうまく、私はよく“ヘタだ、ヘタだ”と言われた」と明かし「でもペン入れを任せてくれたり、認めるところは認めてくれる優しさがあった」と目を細めた。

 遊びはみっちり教えられた。「ビリヤードの腕はプロ並み。かなり鍛えてもらった」。スーツをあつらえるなどオシャレさがあり「それは作品にも出ている」と語った。タバコは1日100本吸うヘビースモーカーで、葉巻もたしなんだ。「劇画に興味がなかった私が、さいとうさんの下でのめり込んだ。私にとっては歴史上の人物」と偉大さを称えた。

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