笑福亭仁鶴さん「努力は人の3倍」 仕事も遊びも規格外 睡眠3時間を約7年間 「面白いこと」が最優先

[ 2021年8月21日 05:30 ]

笑福亭仁鶴さん死去

落語家の笑福亭仁鶴さん(2014年10月撮影、京都国際映画祭のオープニングセレモニーにて)
Photo By スポニチ

 仁鶴さんは正真正銘の努力の人だった。24歳と遅くして落語家となっただけに「努力は人の3倍」を掲げた。ライバルはほかの落語家や漫才師ではなく、吉本新喜劇。「新喜劇の笑いの量に1人で勝つにはどうしたらいいか。その意識を常に持ってました」。喉をつぶして落語家らしい声を作るため、淀川で大声でネタを覚え、舞台袖から師匠や先輩の芸を見てはアイデアをノートに記した。ラジオ番組で寄せられたリスナーの声に即座に反応できるよう、人形を壁に投げ、転がった姿を見て一言で表すトレーニングも行った。

 精進の日々は実を結び、人気は不動のものに。定員900人の「なんば花月」に、1日8500人が押し寄せた。次の舞台の出番順を知らせる「めくり」が変わっただけで、劇場内は大騒ぎ。「視聴率を5%上げる男」とも呼ばれ、最盛期にはテレビとラジオ合わせてレギュラー番組15本、睡眠3時間の生活を約7年間送った。どれだけ忙しくとも舞台は欠かさず、文句や弱音は一切吐かなかった。

 仕事はもちろん、趣味でも手を抜かなかった。無類のゴルフ好きで1日400球を打ち込む猛練習の結果、肋骨2本にひびが入ったこともある。プライベートでは静かだが、好きなものには一直線。その芯の強さが、吉本をお笑い王国へと導いた。

 最も大切にしたのは、寄席に来てくれた人を楽しませること。観客の反応を見ながら、落語のテンポをあえて速めるなど“お客さん第一主義”を徹底。若い時には客席に人が入りすぎたため、後ろの席の観客に自分の顔が見えるよう、本来落語ではご法度の中腰スタイルで高座を演じたこともある。吉本では「面白いこと」が最優先。その流れを作り出したのは、紛れもなく仁鶴さんだった。

 ≪仁鶴さんのギャグ≫
 ◇どんなんかな~ 「ABCヤングリクエスト」などの深夜ラジオで、ハガキを紹介する際のフレーズ。後にシングルレコード「どんなんかなァ/おばちゃんのブルース」の発売につながる。

 ◇四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせ 30年以上司会を務めたNHKの法律バラエティー番組「バラエティー生活笑百科」でおなじみとなった。毎回同フレーズとともに番組がスタートした。

 ◇ごきげんよう!ごきげんよう! 深夜ラジオの常識を打ち破り、静かな語り口ではなく、同フレーズとともに、がなりたてるしゃべり方で話題に。「ヤングおー!おー!」のおなじみフレーズ。

 ◇うれしかるかる 深夜ラジオで「どんなんかな~」とともに頻繁に使用されたギャグ。

続きを表示

この記事のフォト

2021年8月21日のニュース