笑福亭仁鶴さん死去 84歳 「吉本中興の祖」亡くなる前日まで元気だったが…

[ 2021年8月21日 05:30 ]

落語家の笑福亭仁鶴さん
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 上方落語界の重鎮で、ラジオの深夜放送やテレビのバラエティー番組などで全国区の人気を誇った笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名・岡本武士=おかもと・たけし)さんが17日、骨髄異形成症候群のため大阪府内の自宅で死去した。84歳。大阪市出身。「どんなんかな~」などのギャグも多く残し、全盛期には「視聴率を5%上げる男」と称された。吉本興業特別顧問で「吉本中興の祖」と言われる功績を残した。

 関係者によると17日午前6時すぎ、義理の姉が自宅寝室で反応のない仁鶴さんを見つけ、駆けつけた医師が亡くなっていることを確認した。

 13日にあった弟子やマネジャーらとの会合でも元気だったといい、15日に弟子の上方落語協会会長・笑福亭仁智(69)と会った時も約2時間しゃべりっぱなし。前日16日まで体調に変わりはなかったという。仁智は「まだまだ、相談したいことがあったので悔しいです」と突然の訃報に肩を落とした。

 2017年6月に吉本新喜劇元座員で「隆子姫」の愛称で人気だった妻の隆子さんが72歳で他界後は精神的な落ち込みと体調不良があり、自宅で療養。義理の姉が九州から来て時々、身の回りの世話をしていた。死因となった病名は診断を受けて知っていたが、通院や入院などはしていなかったという。通夜、葬儀告別式は近親者で済ませた。

 1985年4月にスタートしたNHK「バラエティー生活笑百科」の司会(相談室長)を初代の西川きよし(75)からバトンを受け、86年3月29日放送分から担当。「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせ~」のフレーズもおなじみになった。

 毎回欠かさず出演を重ねたが、高齢による体力の衰えもあって2017年5月に初めて収録を欠席。翌月に妻に先立たれた。7月に一度は復帰も8月から療養のため番組を休み、桂南光(69)が代理を務めていた。最後に公に姿を見せたのは2018年10月、京都・西本願寺で行われた「京都国際映画祭2018」のオープニングセレモニーだった。

 実家は鉄工所。54年に工業高校を中退し、行商などさまざまな職業を経験。古道具店にあった初代桂春団治のSPレコードを聴いて感激し、落語家になることを決め、61年4月に六代目笑福亭松鶴に入門を許されて仁鶴を名乗った。72年からオンエアされた「ボンカレー」(大塚食品)のCMに人気となった。

 60年代の落語ブームに乗って、月亭可朝さんや桂三枝(現・六代目桂文枝=78)とともに吉本の顔として花月劇場チェーンへの出演を重ねたほか、最盛期にはテレビ、ラジオでレギュラー15本を数え、映画も含めて幅広く活躍。吉本興業が全国区となる礎を築いた。タレント活動の一方で独演会や一門の落語会には定期的に出演。吉本の本拠地である大阪・なんばグランド花月にも月に一度のペースで出演するなど上方落語隆盛にも尽力した。

 ◇笑福亭 仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名・岡本武士=おかもと・たけし)。1937年(昭12)1月28日生まれ、大阪市生野区出身。61年4月1日に六代目笑福亭松鶴に入門。63年から吉本興業所属。90年代半ばには師匠没後、空席となっていた「松鶴」の襲名をかたくなに固辞し「仁鶴」での活動を貫いた。2005年2月に吉本興業特別顧問就任。上方落語協会相談役も務めた。第3回上方お笑い大賞の大賞(1974年)や第53回日本放送協会放送文化賞(2002年)など受賞歴も多数。

 ▽骨髄異形成症候群 赤血球や白血球などの血液細胞のもとになる骨髄の造血幹細胞が侵され、正常な血液細胞がつくれなくなる血液がんの一種。赤血球などが減少するため貧血、疲労感や発熱などの症状が表れる。中高年の発症が多く、急性白血病に進展する場合もある。輸血や幹細胞移植などで対処する。過去には十二代目市川團十郎さんや青島幸男さんらが罹患(りかん)。

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