深夜ラジオの革命児・仁鶴さん、ついたあだ名は「エロ仁鶴」 吉本興業復活の端緒に

[ 2021年8月21日 05:30 ]

笑福亭仁鶴さん死去

落語家の笑福亭仁鶴さん
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 仁鶴さんは1960年代後半、ラジオ大阪「オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に」や朝日放送ラジオ「ABCヤングリクエスト」(いずれも関西ローカル)でDJを務め、若者から絶大な支持を集めた。当時、深夜ラジオはアナウンサーによる真面目なトーンの番組が主流だった中、下ネタトークやエロ小ばなしを連発するなど、一躍「深夜番組の革命児」となった。

 ついたあだ名は「エロ仁鶴」。1966年に始まった「オーサカ…」では、午前2時半から3時間の生放送を担当した。ハイトーンでしゃべり続け、番組を盛り上げた。深夜まで勉強する受験生らの口コミで評判は広がり、毎週3000枚のはがきが届くほどの人気となった。

 「ABC…」では「どんなんかな~」「うれしかるかる」などのギャグを交えながら、猛スピードでリスナーからのはがきを読み上げ話題に。そこからレギュラー番組が増え、毎日放送のテレビ番組「ヤングおー!おー!」(69~82年全国放送)での全国区の人気へとつながった。

 仁鶴さんのラジオやテレビでのブレーク。それは当時、松竹芸能に後塵(こうじん)を拝していた吉本興業がお笑い帝国として復活する端緒となる大きな功績だった。

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