“禁断の恋”の舞台、テロの現場にもなった選手村

[ 2021年7月31日 05:30 ]

伊沢拓司
Photo By 提供写真

 【クイズ王・伊沢拓司の五輪の書(8)】各国から来日した選手のほとんどが、東京・晴海の選手村に滞在しています。これまでの大会における選手村はアスリート同士が国際交流を行う場でもありましたが、コロナ禍での今大会においてはそうも言っていられず。窮屈な思いをしている選手もいることでしょう。

 宿泊施設が「選手村」として正式に運営され始めたのは、1932年のロサンゼルス大会からです。当時利用できたのは男子選手のみ。女子選手はホテルに宿泊していましたが、48年のロンドン大会から全員利用可能となりました。

 この8年後の56年メルボルン大会で、ある男女が選手村で“禁断の恋”に落ちます。かたや米国の男子ハンマー投げハロルド・コノリー選手、こなたチェコスロバキアの女子円盤投げオルガ・フィコトワ選手=写真。ともに金メダリストでした。当時の東西冷戦下において、米国とチェコスロバキアは異なる陣営に属する対立関係にありました。それでもコノリー選手は諦めません。チェコスロバキアの大統領にかけ合い許可を得て、その後結婚したのです。

 64年の東京大会では、ブルガリアの男子体操選手と女子陸上選手が選手村で挙式するという祝祭の場所に。一方で72年のミュンヘン大会では、パレスチナの武装勢力がイスラエル人を殺害するテロの現場にもなりました。アスリートの生活の場もまた、五輪が持つ影響力の下にあるのです。

 テニスのノバク・ジョコビッチ選手のエンジョイぶりが話題になったように、さまざまな制限を受けながら選手村は活気づいています。安全で快活な生活が良きプレーの原動力となることに期待したいですね。

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