志村けんさん、一周忌は家族に囲まれて…見舞うことも、みとることもできなかった別れから1年

[ 2021年3月29日 05:30 ]

親族での集合写真でカメラマンを担当する兄の知之さん(左)(撮影・吉田 剛)
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 昨年3月に新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなった志村けんさんの一周忌法要が命日の前日である28日、出身地の東京都東村山市内の寺でしめやかに営まれた。15年に他界した最愛の母・和子さん(享年96)の七回忌も併せて行われた。親族は墓を囲んで記念撮影。兄・知之さん(74)は「まだ踏ん切りがつかない」と大きな喪失感を抱えながらも、一人で旅立った弟へ温かい家族の愛情をささげた。

 衝撃の死から1年。志村家の菩提寺で執り行われた法要には親族のみ約20人が参列した。志村さんが両親と眠る墓で静かに全員で手を合わせてから上がったのは「撮るよ!」という声。親族が一斉に墓を囲み、顔が見えるように一瞬だけマスクを外して知之さんがスマートフォンで撮影。その後、知之さんも輪に加わって記念撮影が行われた。「法要の前から身内でみんなでそろって写真を撮りたいと考えていたんです」。知之さんは本紙の取材に語った。

 昨年、志村さんが新型コロナウイルスと闘っている最中、感染リスク対策のため、親族は見舞いにも行けず最期もみとれず、お骨を拾うこともできなかった。この日の記念撮影は一人で旅立った弟のため、法要では家族で寄り添ってあげたいという気持ちが込められた。墓前には酒豪として知られた志村さんが大好きだった焼き芋焼酎「鹿児島大地」と似顔絵がラベルに記された日本酒のワンカップも供えられた。

 突然の別れから1年がたち「まだ踏ん切りがつかない」と知之さん。「(今でも志村さんの姿を)しょっちゅうテレビで見るから亡くなった感じがしない」と思いを語った。「ファンの方もお墓や実家に毎日のように来てくれている。いつまで人気があるのだろう」と感謝。一方で亡くなってもなおスターの志村さんの墓前に「今日はゆっくり眠ってください」と声を掛けた。

 この日は15年に亡くなった母の和子さんの七回忌も併せて執り行った。和子さんは「日本一の志村けんファン」と言って活躍を見守り、志村さんも自身の番組にゲストで呼ぶなど、その愛情にしっかりと応えていた。

 志村さんが最愛の母と同じ墓に眠ることに、知之さんは「一緒にいるから寂しくないんじゃないかな」と思いをはせた。家族の愛に包まれた法要で、浮かんできたのは志村さんの笑顔だったに違いない。「いつかひょっこり帰って来そう」。知之さんはそうつぶやいた。(安田健二、小田切葉月)

 《その死に若年層も衝撃 コロナは人ごとではない》志村さんが最後に残したものは「コロナは人ごとではない」という教訓だ。志村さんが亡くなった昨年3月29日は東京都が発表した感染者68人のうち30代以下が44人で全体の7割弱を占め、知らないうちに感染した若者が感染を拡大させているという状況だった。志村さんの訃報に30代以下の若者からは「周りに感染者がいなかったのでどこか人ごとだったが、真剣に考えないといけないと思った」「対策をしないといけない」などの声が上がり始めた。
 テレビ番組の制作にも影響を与えた。制作会社関係者は「対策がより細かく指示されるようになった」と語った。昨年は亡くなった18日後の昨年4月16日に1回目の緊急事態宣言が全国に拡大され、同5月25日に解除された。感染者数が増加に転じる今、志村さんをしのぶことで再び気を引き締めたい。

 《入院からわずか9日》志村さんは昨年3月17日に倦怠(けんたい)感を訴え自宅で静養。19日に発熱、呼吸困難の症状が出た。20日に訪問診察した医師の判断で東京都港区内の病院に搬送され入院。23日に新型コロナウイルス陽性と判明した。24日には感染症の専門病院に転院し、人工心肺を装着して治療していた。21日から意識は戻らず、人工呼吸器に切り替えてからは会話も一切できなかったという。入院からわずか9日の29日に息を引き取った。遺族も立ち会うことが許されない中、31日に荼毘(だび)に付された。

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2021年3月29日のニュース