渡哲也さん、夫人との愛を育んだスペシャル花束 50年以上ひいきの生花店主「実直な人でした」

[ 2020年8月17日 05:30 ]

店内で渡哲也さんの思い出を語る生花店「フローリスト富士美」の店主、土橋康博さん
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 肺炎のため10日に78歳で亡くなった俳優の渡哲也さんが50年以上ひいきにしていた生花店「フローリスト富士美」。店主・土橋康博さん(79)は「店を続けられたのは渡さんのおかげ。本当に実直な人でした」と故人をしのんだ。

 1964年に渡さんは青学大で1年後輩だった俊子夫人との交際をスタート。大田区にある現在の自宅は元々、俊子夫人の実家で、もっぱら自宅デートを楽しんでいたという。そのたびに土橋さんの店で手土産代わりに花束を購入しており、それがきっかけで交流が始まった。

 渡さんが選ぶのは、胡蝶蘭(こちょうらん)など華やかな洋蘭が中心。当時で約2万円と高価だったが、包装は地味でリボンの色はモスグリーンを好んだという。70年の婚約会見で渡さんは「彼女の都会的なところに引かれた」と語っており、洋蘭も俊子夫人の雰囲気に合わせて選んだのかもしれない。俊子夫人の両親に結婚の承諾を得るためにも月2回ペースで通った。土橋さんが「毎回いろいろな組み合わせで“渡スペシャル”でした」とアレンジした洋蘭が愛を育むアイテムだったのは間違いない。

 結婚後の渡さんは故石原裕次郎さん、ソフトバンク王貞治会長(80)、プロゴルファーの尾崎将司(73)、女優吉永小百合(75)を客として紹介してくれたという。売り上げが急増して一時は港区麻布に2号店を出すほどだった。

 店内には尾崎らとの写真が並ぶが渡さんとのツーショットは1枚もない。自宅に配達に行けば「お茶飲んでってよ」と言われる身近な存在ゆえだ。

 最後に会ったのは渡さんの自宅療養が増えた2年前。全快を祈りながら余計な気遣いをさせないため自宅に足を運ばないようにしたことも今となっては悔やまれる。「今も渡さんは3000人載っている顧客名簿の一番目の人です」と唇をかんだ。

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