米良美一「もののけ姫」オファー 地元・宮崎のCMかと思ったら「宮崎駿さんだった」

[ 2020年5月26日 14:15 ]

米良美一
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 アニメ映画「もののけ姫」(宮崎駿監督)のテーマ曲などで知られる歌手の米良美一(49)が、26日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演し、40代でくも膜下出血に倒れるなど数々の病と闘い続けた半生を振り返った。

 米良は14年に鹿児島で公演を行った後、帰宅した翌日に倒れた。その日は歯医者の予約、預けたペットの引き取りに行く用事があり、自宅を訪れたマネジャーに発見されて一命を取り留めたという。「空港に帰るまでが記憶がないんです」と前日から予兆があったといい、マネジャーには「命の恩人ですよね」と感謝を口にした。

 その後も記憶喪失の時期が1カ月半ほど続き、右半身のまひでリハビリ生活を送ったという。「ものすごくじょう舌な時もあれば、後で聞いた話によると昏睡状態というか、あくびばかりしていたそうですね。看護師の身の上相談をやっていたらしいんです。私は何も覚えてないんです。怖いですね」と語った。

 幼少期には、2~3万人に1人が発症する指定難病の「先天性骨形成不全症」とも闘った。15歳ごろまでに30回の骨折経験があり、小学校の後半から中学3年間はほぼ寝たきりだったという。「とにかく骨が折れたりしないことを願うだけで精いっぱい」と当時を振り返り、「まさかこんなふうに、人様の前で大好きな音楽をやらせていただいたり、こんなきらびやかな芸能の世界でお仕事をさせていただけるなんて」と幸せをかみしめていた。

 闘病生活の支えになったのは、黒柳徹子(86)が久米宏と司会を務めていた音楽番組「ザ・ベストテン」だったという。小児病棟で夜はテレビを見られず、音だけを聞いて想像をふくらませる日々。好きだったのは松田聖子で、「目を閉じて聞いていると、世界中のいろんなところに行けるんですよね。ヨーロッパへ行ったり、南の島へ行ったり。だから私の妄想というかイマジネーションはものすごく耳からね(入ってきた)」と話していた。

 広く世間に知られるきっかけになった「もののけ姫」は、実は勘違いから生まれた仕事だった。ジブリアニメにうとい事務所スタッフから「宮崎のアニメ制作会社の方から米良さんに『歌を歌ってほしい』という依頼が来た」と、あいまいな形で伝えられたという。宮崎県出身の米良は、「宮崎の地元のコマーシャルか何かの歌だったら、親が喜ぶじゃないですか。『ぜひ』と言ったら、宮崎違いで『世界の宮崎駿さん』だった」と驚いたエピソードを明かした。番組では「もののけ姫」のアレンジバージョンも歌唱した。

 現在は歌手活動のほか、合唱団を結成して広く音楽に携わっている。「前向きに光を浴びて生きていこうと思います」と決意を語ると、黒柳から「あなたが光に向かって真っ正面に進んでらっしゃる姿を想像しています」と激励されていた。

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2020年5月26日のニュース