「魅せる麻雀」にこだわり…誰もが「先生」と呼んだ小島武夫さん 志は永遠に

[ 2018年6月9日 10:30 ]

09年、第1回麻雀トライアスロン雀豪決定戦に出場した時の小島武夫さん(日本プロ麻雀連盟提供)
Photo By 提供写真

 5月31日に日本麻雀連盟から発表されたミスター麻雀・小島武夫さんの訃報は麻雀業界に衝撃を与えた。同連盟の最高顧問を務める「ムツゴロウ」こと畑正憲氏(83)は本紙の取材に「ついに大きな木が倒れてしまった」と話した。その言葉どおり、小島さんは麻雀界を支える大きな柱だった。

 8日に都内で行われた通夜には、関係者、ファン合わせて約400人が弔問に訪れた。往年の麻雀ファンが大勢足を運び、中には車いすの方や、酸素吸入器を持参した方もいた。都内から訪れた男性(67)は「直接会ったことはなかったけれど、自分に麻雀を教えてくれたのは小島先生だった」としのんだ。

 業界の大御所を“先生”と呼ぶことは多々あるが、小島さんの場合、関係者だけでなく一般のファンまで“小島先生”と呼ぶ。先の男性のように小島さんで麻雀を知った、直接でなくても著書やテレビを通じて小島さんから麻雀を教わったという方が多いのだろう。記者も初めて麻雀で遊んだ頃に買った本が小島さんの「絶対負けない麻雀―読むだけで強くなる驚異の麻雀戦術」だった。

 同書は小島さんの実体験を交えながら、麻雀の心得を説いていくという内容だが、その中に「麻雀は配牌で何かが決まるような簡単なものではない」という記述があった。麻雀を好む読者は「当たり前だ」と思うかもしれない。ただ、小島さんがわざわざこの内容に1ページを割いたというところに、「魅せる麻雀」を信条とし、結果に向かう過程を何より大切にしたこだわりが見えたような気がして、今でも心に残っている。

 通夜で取材に応じた小島さんの孫でプロ雀士の小島優(32)は、「いつも“恥ずかしい麻雀だけは打つな”と言っていました」と教えてくれた。別の同連盟男性プロも「この先、小島先生がどこかで見ていると思うと、恥ずかしい麻雀は打てない」と話した。

 1970年に故阿佐田哲也さんらと「麻雀新撰組」を結成し、テレビ出演などで麻雀の知名度を飛躍的に高めた。81年には日本プロ麻雀連盟を立ち上げ、競技麻雀の普及に尽力した。「ミスター麻雀」。その存在の大きさをあらためてかみしめながら、手を合わせた。(西向 智明)

続きを表示

2018年6月9日のニュース