永六輔さん大往生 亡くなる前日まで元気、アイス食べ「おいしい」

[ 2016年7月12日 05:30 ]

坂本九さん(右)の「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔さん。79年3月、東芝スタジオで

 大ヒット曲「上を向いて歩こう」の作詞やベストセラー「大往生」の執筆など、多彩な活躍で知られた永六輔(えい・ろくすけ、本名永孝雄=えい・たかお)さんが7日午後1時57分、肺炎のため東京都渋谷区の自宅で死去した。83歳。東京都出身。葬儀・告別式は11日、東京都台東区浅草の実家、最尊寺で家族葬として営まれた。会見した次女でフリーアナウンサーの永麻理(54)によると、死去前日まで元気に話していたという。

 放送作家、作詞家、ラジオパーソナリティー――元祖マルチタレントとして活躍した永さんが天国に旅立った。

 永さんがラジオのレギュラー番組を持っていた東京・赤坂のTBSで、葬儀を終えたままの喪服姿で麻理が会見。亡くなる前日もアイスキャンディーを食べて「おいしい」とはっきり話していたと明かした。

 「前の晩元気だったので油断していた。ふと見たら息がだんだんと弱くなっていった」

 眠るような静かな最期。所属事務所によれば、医師から「老衰と言っていい状況」と説明されたという。文字通りの大往生だった。

 2010年に神経変性疾患のパーキンソン病であることを公表。闘病しながら仕事を続けたが、TBSラジオで91年4月からパーソナリティーを務めてきた「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」を昨年9月26日放送を最後に退いてから、表舞台に出てくる機会が減っていた。

 前立腺がんも患っていた。「薬が効いていたので症状は安定していた」(麻理)という。今年1月末、かつて背中を圧迫骨折した箇所が悪化したため入院。その後、誤嚥(ごえん)性肺炎などを併発するようになった。

 昨年12月に死去した作家の野坂昭如さんの告別式では、盟友のため車椅子姿で葬儀委員長を務めた。今年2月4日に放送されたテレビ朝日「徹子の部屋」に親友の大橋巨泉(82)と一緒に出演したのが最後のテレビとなった。

 1933年に東京・浅草にある最尊寺の住職の次男として生まれた。早大在学中に、NHKのラジオ番組「日曜娯楽版」に投稿したのがきっかけで、三木鶏郎さんが率いた制作者集団「冗談工房」に参加。放送作家の道に進んだ。

 作曲家の中村八大さんと組み、作詞家としても数々のヒット曲を連発。59年に「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞。坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」、梓みちよ(73)の「こんにちは赤ちゃん」、ジェリー藤尾(76)の「遠くへ行きたい」など枚挙にいとまがない。74年には野坂、小沢昭一両氏と「中年御三家」を結成し、日本武道館でのコンサートを成功させた。

 著述家としても才を発揮。無名の人々の生や死に関する多くの名言を集めた「大往生」(94年)は200万部を超えるベストセラーとなった。67年に始まったTBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」は13年まで続き、1万2000回を超す長寿番組となった。晩年はテレビからラジオに軸足を移し、日本語と伝統文化の復権に取り組んだ。尺貫法の復活運動はその一環だった。

 ◆永 六輔(えい・ろくすけ=本名永孝雄=えい・たかお)1933年(昭8)4月10日、東京都生まれ。早大在学中に放送作家、司会者としてデビュー。ラジオや草創期のテレビで活躍した。作詞家としてもヒット曲を連発。日本の伝統文化の復権にも取り組んだ。00年菊池寛賞。長女は映画エッセイストの永千絵さん、次女は元フジテレビで現在はフリーの永麻理アナ。

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