花紀京さん死去…エンタツ次男 吉本新喜劇の黄金期築く

[ 2015年8月7日 05:30 ]

5日に死去した花紀京さん

 吉本新喜劇の黄金時代を築いた喜劇俳優・花紀京(はなき・きょう、本名・石田京三)さんが5日午後7時44分、肺炎のため大阪市内の病院で亡くなっていたことが6日分かった。78歳。故岡八朗さんとのコンビで、1970年代を中心に関西の喜劇界のトップスターとして活躍。03年に自宅で入浴中に意識を失い入院してからは長期療養中だった。この日、大阪市内の斎場で通夜が営まれ、付き人だった間寛平(66)ら芸人仲間も参列した。7日の告別式は近親者のみで執り行う。

 鼻の先を赤くし、ニット帽にニッカーボッカー、腹巻き姿がトレードマーク。新喜劇では屋台の店主役の岡八朗さんに酒をねだり、つがれた熱かんを飲み「あつ~!こら熱過ぎるわ」と文句をつけ、冷や酒をもらうと「ぬる~!」とまた文句を言う――。憎めないボケ役「京やん」のとぼけた芸風と、黄金コンビの絶妙の間で観客を爆笑の渦に巻き込んだ。

 そんな昭和の名喜劇人も晩年は闘病生活が続いた。02年8月に脳腫瘍の摘出手術。03年5月に自宅で入浴中に低酸素脳症で倒れてからは10年以上も療養を続けていた。吉本興業によると、3日ほど前から呼吸が荒くなる症状が表れ、5日に急変。入院生活をずっと献身的に支え、看護してきた夫人が最期をみとった。

 役柄同様、私生活でも酒やパチンコ好きで知られたが、その一方で花紀さんの友人によると、「若いころから高血圧気味だったためか、大阪市内の自宅から劇場まで5キロのおもりを足につ けて通うなど健康に気をつけていた」と明かした。

 花紀さんを見舞った吉本関係者は「私のことを誰か理解できているかどうか…と、意識がもうろうとしている感じだった」と振り返った。病室には花紀さんの刺激になるようにという夫人の配慮で、花紀さんが父の横山エンタツさんを演じた際の舞台のポスターや、吉本新喜劇のビデオを流していたという。

 通夜には、親交の深かった寛平をはじめ落語家の桂文枝(72)、漫才コンビ「トミーズ」、吉本新喜劇の内場勝則(54)や辻本茂雄(50)、石田靖(49)らも参列。2000年ごろに撮られたというスーツ姿に笑顔の遺影に手を合わせ、偉大な先輩との別れを惜しんだ。

 花紀さんは「エンタツ・アチャコ」で人気だったエンタツさんの次男として生まれ、名コンビとして知られた岡さんとは、時にはどちらが目立つかを競い合うライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)し、互いを輝かせた。「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」などのコメディーにも多数出演しテレビ草創期も支えた。89年には吉本が打ち出した「新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」を機に吉本新喜劇を退団した。

 その後はNHK連続テレビ小説「やんちゃくれ」や、ダウンタウン浜田雅功(52)が主演した日本テレビ系のドラマ「明日があるさ」などに出演、ミヤコ蝶々公演などの舞台でも活躍した。

 ◆花紀 京(はなき・きょう、本名石田京三=いしだ・きょうぞう)1937年(昭12)1月2日、大阪市出身。大阪府立阿倍野高校を経て関西大学に入学するが中退。大学在籍時の58年、花登筺さんに弟子入りし、劇団「笑いの王国」を経て62年に吉本興業入り。父親は漫才師で俳優の横山エンタツ。芸人としては父の相方・花菱アチャコに憧れていた。73年に上方お笑い大賞金賞を受賞。2001年、ダウンタウンらとユニット「Re:Japan」に参加し、NHK紅白歌合戦に出場した。

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