寛平、動揺隠せず…元付き人「にいさんの芝居がもう一度、見たい」

[ 2015年8月7日 07:20 ]

報道陣の前で故人との思い出を語る間寛平

花紀京さん死去

 通夜に参列した間寛平(66)は「(訃報を6日)朝に聞いてビックリして…予定を断ってきた」と動揺を隠しきれなかった。花紀さんが03年に倒れて以降は、夫婦で病棟へ見舞いに通ったという。「倒れて10年以上、年に2、3回見舞いには行っていました。復帰を願っていた。にいさんの芝居がもう一度、見たい」と故人を惜しんだ。

 1970年、21歳で吉本興業に入ったが、新喜劇のリハーサルで座長の花紀さんからダメ出しされた。「なまってるからアカン」。土佐弁を理由に幕の上げ下げをする進行係に。その後花紀さんの付き人になる。「すっごい厳しく、よく怒られました。新喜劇をするんやったら芝居は味、間合いやでと教えてくれた」。厳しいだけではなかった。

 梅田コマ劇場(現・梅田芸術劇場)でのエピソードも明かした。暗転した舞台へ懐中電灯で迎えにいったが、足元を照らさずに顔を照らすと、“何しとんねん!下照らせ!”と怒られたという。ならばと足元でも自分(寛平)を照らすと、“オレやオレや!”と言われる始末。「そりゃあ怒られますよね」。思い出話は尽きなかった。

 遠い記憶をたどっても「褒められたことはない」と語った一方、24歳で座長になったときは喜んでくれたそうだ。

 今年見舞いに行った際も、「顔色もいいし、大丈夫やなと思っていた。うちの嫁が“寛平、来たでー”と声を掛けるんですけど、ピクッと反応した」と明かす。“再会”したこの日は「倒れたときと全く変わっていなかった」。涙をこらえ、気丈に振る舞った。

 一方、後輩だった未知やすえは涙ながらに語った。数カ月前に見舞いに行って声を掛けると、「パッと目を開けてパッと目をつぶった」という。21歳で臨んだ自身初の新喜劇、舞台上でせりふを忘れて大泣きしたが、その後花紀さんに掛けられた言葉「ゆっくりしゃべればいい」に救われた。「あれがなければ新喜劇に残っていなかった」と深く感謝していた。

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2015年8月7日のニュース