桜田淳子さん 16年半ぶり報道陣の前に 1時間近く…相澤会長に別れ

[ 2013年5月29日 06:00 ]

16年半ぶりに報道陣の前に姿を見せた桜田淳子さん

 すい臓がんのため23日に83歳で亡くなった芸能事務所「サンミュージック」の会長、相澤秀禎(あいざわ・ひでよし、本名與四郎=よしろう)さんの通夜が28日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、元女優の桜田淳子さん(55)が弔問に訪れた。

 70~80年代に看板アイドルとして一時代を築いたが、92年の結婚騒動後に引退。報道陣の前に姿を見せたのは約16年半ぶりとなり、通夜会場が一時騒然となった。

 桜田さんが姿を見せたのは開式から1時間20分後の午後7時20分ごろ。相澤さんが手掛けたスター歌手たちのヒット曲が次々と流れる会場にタクシーで訪れた。降車するタイミングで、73年のヒット曲「わたしの青い鳥」が流れていた。

 黒縁眼鏡をかけ、うつむき加減で何度も髪をかき分けながら焼香台へ。中学3年生でデビューした頃のような黒髪は、肩のあたりまで伸びていた。波紋を呼んだ結婚を経て、1男2女の母となり、現役時代と比べてふくよかになった印象。100人以上の報道陣が一斉にざわめき、目まぐるしくフラッシュがたかれた。「桜田さん!」「桜田さん、相澤さんに、どんな言葉を掛けられますか?」などと声が掛けられたが、矢継ぎ早に飛んだため質問自体かき消され、返答はなかった。

 相澤さんの遺影の前では静かに手を合わせ、焼香を済ませると目を潤ませた。祭壇の前では同じくサンミュージック所属だった後輩の香坂みゆき(50)や早見優(46)らと言葉を交わした。太川陽介(54)ら、かつての事務所仲間たちと久しぶりに顔を合わせ「元気にしてる?」などと声を掛け、故人の長男、相澤正久社長によると「同窓会のようになっていました」という。会場から去りがたかったようで、1時間近く供養の場に同席した。

 山口百恵さん(54)、森昌子(54)とともに「花の中3トリオ」として活躍。70年代の芸能界で一世風びしたトップアイドルを、公私にわたって支えたのが相澤さんだった。72年にオーディション番組「スター誕生!」でスカウト。秋田県から上京させる際には、父親を安心させるために自宅に住まわせ寝食をともにした。

 桜田さんは91年に個人事務所を設立して独立。92年に世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加し、翌93年に芸能活動を休止。96年12月15日、統一教会のクリスマスフェスティバルに特別ゲストとして出席して以来、報道陣の前に姿を見せていなかった。ただ、関係者によると、相澤さんとは定期的に会っていたという。

 ≪桜田淳子さんと統一教会≫92年3月に会員であることを公表。同年8月25日に韓国・ソウルで行われた教会主催の合同結婚式に元新体操五輪選手の山崎浩子さんらとともに参加し、会社経営の男性と結婚。当時、相澤会長は桜田さんから200万円で買ったつぼを公開。「結婚も解消して統一教会も辞めてほしい」とメッセージを送った。

 ◆桜田 淳子(さくらだ・じゅんこ)1958年(昭33)4月14日、秋田市生まれ。日本テレビ「スター誕生」で優勝、73年「天使も夢みる」で歌手デビュー。80年ミュージカル「アニーよ銃をとれ」で芸術祭優秀賞受賞、ドラマや映画で女優としても活躍。93年公開の映画「お引越し」出演を最後に芸能活動を休止。

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