キダ・タロー 田端義夫さんは「シナトラ級の歌い手」

[ 2013年5月29日 07:55 ]

 4月25日に肺炎のため94歳で亡くなった歌手の田端義夫さんのドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」(監督田村孟太雲)が6月1日、関西で公開されるのを前に作曲家キダ・タロー(82)がスポニチ本紙の取材に応じた。

 歌声に初めて触れたのは戦前、田端さんのファンだった兄のレコード。「魅力的な歌い方に夢中になり、この世界を目指すきっかけになった」と通算2000曲以上を作曲した“浪速のモーツァルト”の原点だったことを感慨深げに語った。

 初対面は1954年ごろ。難波の大阪劇場(67年閉館)で、田端さんが1カ月の長期公演を行った際、キダのバンド「キャスバオーケストラ」が伴奏を担当した。田端さんが「十九の春」を発売した75年ごろまで務め、読売系「帰ってきた歌謡曲」(70~74年)など音楽番組に出演するたびステージを共にした。「ボクらの伴奏が遅くとも絶対に怒らなかった。冗談ばかり言って、いわゆるチョケ(お調子者)ですわ」と懐かしんだ。

 公演での思い出がある。田端さんの独唱コーナー。演奏を止めたキダらにとっては休憩時間だったが、誰もその場を離れない。「1カ月、毎日歌声を聴いた。シナトラ級の歌い手でジャズのフィーリングを持ち、即興で歌えたのはバタヤンか桑田(佳祐)くらい」と言葉を尽くした。

 映画の撮影は05年にスタート。06年、田端さんが幼少期を過ごした大阪・鶴橋の母校北鶴橋小学校で開いたコンサートの場面では、82年に中座(99年閉館)で戦時歌謡「梅と兵隊」を披露した映像と重ねる演出がある。「80代後半になっても全盛期と同じキーで歌うことができたバタヤンだからこそ可能だった手法」と指摘していた。

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