三国連太郎さん逝く「釣りバカ日誌」「ビルマの竪琴」

[ 2013年4月16日 06:00 ]

三国連太郎さん

 映画「釣りバカ日誌」シリーズなど、個性派俳優として活躍した三国連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄=さとう・まさお)さんが14日午前9時18分、急性呼吸不全のため東京都稲城市の病院で死去した。90歳。群馬県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で俳優の佐藤浩市(52)。この日、会見した佐藤は愛憎入り交じる父親の死に「悲しいという思いはなかった」と語った。

 “演技の鬼”として生きた三国さんが、60年以上の役者人生に幕を下ろした。

 昨年春から、東京都稲城市の療養型病院に入院。佐藤らによると、亡くなる前日の13日までは夕食も十分に取るなど元気だった。その後、深夜に嘔吐(おうと)。翌14日朝にも嘔吐し、体温と血圧が低下した。妻の友子さん(63)が病院まで駆け付けた1分後に息を引き取った。亡くなる2日前、ふいに「港に行かなくちゃ。船が出てしまう」と口走っていたという。

 中国で敗戦を迎えて復員後、各地を転々として上京。松竹のプロデューサーによるスカウトを機に、1951年の木下恵介監督「善魔」の主役に抜てきされてデビュー。迫力ある風貌で一気にスターダムを駆け上がった。この時の役名がそのまま芸名となった。

 その後「ビルマの竪琴」「飢餓海峡」「神々の深き欲望」など、市川崑監督、今村昌平監督ら名監督の作品に出演。実力俳優の評価を確立していった。88年からは「釣りバカ日誌」シリーズに会社経営者の「スーさん」役で出演。ユーモアたっぷりの演技で新境地を開いた。

 日本を代表するスターの一人になりながら、演技の道を極めようと、日々努力を惜しまなかった。57年の「異母兄弟」では、30代半ばで老け役を演じるため、麻酔もかけず多くの歯を抜き、腫れ上がった顔で出演。別の作品では共演女優に襲いかかるシーンで、本気で殴って失神させたこともあった。権威や権力を嫌い、俳優という言葉を使わず、自分を「役者」と呼んでいた。

 プライベートでは4度の結婚歴があった。奔放な女性関係で知られ、92年に亡くなった太地喜和子さん(享年48)、石田えり(52)らとのロマンスも話題となった。09年4月、心筋梗塞の緊急カテーテル手術を受けたが、すぐに回復。昨年4月公開の「わが母の記」が遺作となった。

 ◆三国 連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄=さとう・まさお)1923年(大12)1月20日、群馬県太田市生まれ。主要なものだけで、約25の映画賞を受賞。84年紫綬褒章、93年勲四等旭日小綬章を受章。自らメガホンを取った「親鸞・白い道」で87年のカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど、監督としても才能を発揮した。

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