佐藤浩市涙なき別れ「死に顔に威厳があった」

[ 2013年4月16日 06:00 ]

読売テレビ「怪物」制作発表会終了後に父・三国連太郎さんについて佐藤浩市は、囲み取材で悲しみを堪えて語る

三国連太郎さん死去

 日本テレビ系の主演スペシャルドラマ「怪物」(今夏放送予定)の制作発表後、佐藤は急きょ、報道陣に対応した。「90歳ですし、いつかこういう知らせが来るであろうと覚悟していました」と淡々と話し出した。

 最後に会ったのは、今月1日。三国さんは意識がはっきりとしており「外に散歩に行ったら寒かった」などと、何げない会話を交わしたという。死に目には会えず、病院で他界した三国さんと対面。「こういう言い方は妙かもしれませんが、親父の死に顔を見て、悲しいという思いはなかった。この数年の中で一番凜(りん)とし威厳があった。ただ、涙は出なかった」と心情を吐露した。

 佐藤が幼少のころに両親は離婚。佐藤は母親に引き取られた。長年別居し、確執が伝えられたこともあったが、2人は「役者」という共通の言葉でつながっていた。佐藤は「僕がこの世界でやるというのを最初に告げたのは、早稲田駅のホーム。三国は“そうか”と言って電車に乗っていった。その場面を何度も思い出す」としみじみと話した。

 94年に映画主演した際、「親父は生活をゼロにしても芝居にこだわるタイプ。僕は明らかに違う」とクールに話していたが、96年の映画「美味しんぼ」で父子で共演が実現。三国さんは撮影の終盤で「何も言わなくても波長みたいなものを感じた」と満足げな表情を見せ、「長男とは同じ仕事だからあまり話さない。ケンカしたいけど遠慮しちゃう」とも語っていた。関係者によると、この共演をきっかけに、一緒に過ごす時間も増えていったという。

 佐藤は会見で、父親としての三国さんについて「ひどいよ、そりゃあ」と苦笑い。「僕と彼の間に介在したのは役者という言葉だけ。世間一般の方に分かるように説明をと言われても無理」と複雑な表情。だが、役者としての三国さんについては「“戒名もいらない。散骨して誰にも知らせるな。三国連太郎のままでいく”と言っていた。本当にあの人は役者として生きたんだな」と感慨深げだった。

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