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「天才」武藤敬司は、名勝負を作る才能にも長けていた 21日の引退試合も「伝説誕生」の予感が…

[ 2023年2月21日 17:00 ]

今や伝説となった「10・9」東京ドーム決戦で、武藤は高田延彦との「大将対決」を制する(1995年10月9日撮影)
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 プロレスラーの武藤敬司(60)が21日のノア・東京ドーム大会で38年に及んだ現役生活に幕を下ろす。最後の相手に、内藤哲也(40)を指名。ともにプロレスが巧いだけでなく、会場の空気を読む能力にも長けているだけに、ハイレベルな内容が期待できる。新日本、全日本、ノア、そして米国…。さまざまなマットを踏んできた武藤が残した名勝負を振り返る。

 ファンが10人いれば、間違いなく9人は№1に挙げるのが、1995年10月9日の東京ドーム大会で、高田延彦を撃破した一戦だ。新日本のエースとして、当時敵対関係にあったUWFインターの象徴と激突。両団体の意地、プライド、メンツ、そしてプロレス哲学まで背負った大一番で、武藤はフィニッシュにドラゴンスクリューから足4の字固めという古典的な技をチョイス。だれもが舌を巻いたプロレス頭とセンスで、超満員6万7000人のファンを狂喜乱舞させた。

 盟友であるとともに、ライバルだった「闘魂三銃士」絡みの名勝負も数多い。橋本真也さん(2005年死去)とは、両者ともに脂の乗り切った1995年に至極の名勝負を展開。5月3日の福岡ドーム大会では、必殺のムーンサルトプレスで橋本を抑え込み、武藤として初めてIWGPヘビー級のベルトを戴冠。同年8月の「G1クライマックス」決勝でも両雄は顔を合わせ、流血しながらも、武藤が「夏の祭典」を初めて制し、名実ともに新日本のトップに立った。

 蝶野正洋とは、1991年の「G1クライマックス」第1回決勝で対戦。30分を超える熱闘の末、蝶野が意表を突くパワーボムで武藤を下した。あまりにボルテージの高い戦いに、試合後は両国国技館の座布団が乱舞。その興奮が「G1ブランド」の原点といってもいい。

 日本人ではプロレス界の先輩のあたる藤波辰爾や長州力、天龍源一郎らともシングルでしのぎを削り、全日本に移籍(2002年)した後は、川田利明とも熾烈な戦いを演じた。永田裕志、中西学、棚橋弘至ら後輩の「壁」としても、魅力的な姿を見せてきたプロレスマスター。化身ともいえるグレート・ムタの試合も含めれば、星の数ほど名勝負を残してきた。

 果たして内藤を相手に、どんなラストマッチを見せるか。ゴングの瞬間が待ちきれない。

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2023年2月21日のニュース