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“天才”武藤敬司ラストダンス…プロレスの歴史に大きく刻まれる引退試合

[ 2023年2月21日 11:00 ]

武藤敬司
Photo By スポニチ

 “天才”が最後のリングに立つ…21日に東京ドームで開催される「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO―WRESTLING “LAST” LOVE~HOLDOUT~」で武藤敬司が新日本プロレスの内藤哲也を相手に引退試合を戦う。

 「ゴールのないマラソン」と口にしていた“天才”が終焉を迎える。武藤は84年に新日本プロレスに入門した。同年10月5日に蝶野正洋を相手にデビュー。その後、90年代にはプロレス界のトップ選手となっていた。中でも95年10月9日に東京ドームで開催された「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」のメインイベントは高田延彦の挑戦を受けたIWGPヘビー級選手権だった。武藤が足四の字固めで高田からギブアップを奪って防衛に成功した。この試合は後世にも受け継がれる名勝負となった。。

 00年大みそかに開催された「イノキボンバイエ」ではスキンヘッド姿になった武藤にファンは大きな衝撃を受けた。01年6月に全日本プロレスで天龍源一郎に勝利して三冠王者に初めて輝き、その後、太陽ケアをパートナーに世界タッグ王者とIWGPタッグ王者を獲得して史上初の六冠王者になった。02年に新日本プロレスを退団して、全日本プロレスに移籍して社長に就任した。

 08年4月には99年以来となるIWGPヘビー級王者に輝き、9月にはムタが三冠王者に輝き、ムタとともにメジャー団体の王者になった。10年には全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王座に挑戦。武藤にとって初のジュニアヘビー級タイトル挑戦となったが、王者奪取とはいかなかった。13年には全日本プロレスを退団して新団体WRESTLEー1を旗揚げした。

 しかし常にプロレス界のトップで走り続けた武藤の体は、この時点で悲鳴をあげていた。武藤の代名詞ともいえるムーンサルトプレス含め、膝に負担のかかる技を使い続けたため膝を何度も手術していた。そして18年3月に人工関節を入れる手術を決断。19年に復帰した。

 20年4月1日にWRESTLEー1が活動休止となった。それ以降はフリーで活躍する中でプロレスリング・ノアに参戦を始めた。21年2月にGHCヘビー級王者に輝いて、史上3人目となる3大メジャー団体ヘビー級シングル王座完全制覇を達成。そこから2年契約でプロレスリング・ノアに所属となった

 長年悩まされていた膝を人工関節にしたことで、膝への負担は少なくなったが今度は股関節を痛めてしまった。22年1月に左股関節唇損傷で長期欠場。同年5月に復帰するも試合後に「非常に悩んでるなあ。正直さ、相手の技を受けるじゃなくて自分の技を仕掛ける時に痛みが走ったりするからよ。気持ちが落ちるよ」と自身の技を仕掛ける際にも痛みを感じたと明かしていた。そして同年6月に開催された「サイバーファイトフェスティバル2022」で「かつて、プロレスとはゴールのないマラソンといった自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します」と引退宣言した。

 そこから引退ロードでは”最後の雄姿”を全国のファンに見せた。そして今年1月21日の新日本プロレス横浜アリーナ大会のメインイベント終了後にリングに上がった武藤。メインで勝利して花道を歩いていた内藤へ「内藤!俺の引退試合の相手、お前に決めた!熱い熱い試合をやろうぜ!」と引退試合の相手に指名。内藤も「俺の答えはもちろん!トランキーロ、あっせんなよ。ただ2月21日、予定空けておきますよ!今の内藤哲也を思う存分堪能してください!カブロン!!」と受諾して武藤ラストマッチの相手に決定した。

 内藤を指名した理由について武藤は「元々、彼から武藤敬司に対する愛情とかそういうものをすごい感じていた」と語った。

 しかしプロレスの神様は“天才”武藤に最後の試練を与えた。1月22日に武藤の“悪の化身”であるグレート・ムタのラストマッチで両足のハムストリングの肉離れを起こしていた。

 「膝とか悪かったじゃん。変な話、ああいうのは慢性的な怪我で、じわじわという痛みだった。この筋肉の痛みは激痛だからさ、歩けなくなっちゃうんだよ。本当に困っている」と引退試合に向けて焦りの言葉を口にしていた。

 満身創痍の状態でプロレスラーとして最後を迎える。それでも最後まで武藤はプロレスの芸術を見せると誓った。

 「貪欲ですもん。2月21日の東京ドームの試合も年間最高試合狙ってますからね」と引退試合で年間ベストバウトを狙っていると明言。

 ムーンサルトプレスについても「主治医の先生に“最後に1回!”とちょっとジャブで突っついているんですよ。だからまだ悩んでますよ。このままあとは開けてびっくり…」と禁断の技を出す事も臆さない。

 “天才”武藤のラストダンスはプロレスの歴史に新たな太字で記する1日になる。

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