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【アントニオ猪木氏ヒストリー】力道山がスカウト アリ、ハンセン、ホーガンらと死闘繰り広げ

[ 2022年10月1日 12:29 ]

プロボクシング・世界ヘビー級王者のモハメド・アリ対プロレス・NWP世界王者・アントニオ猪木の一戦。猪木(右)がアリにローキックを浴びせる(1976年6月26日撮影)
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 元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。プロレスラーとして数々の名勝負を残し、国会議員、実業家としても活躍した“燃える闘魂”の波乱の79年を振り返る。

 <アントニオ猪木氏ヒストリー>
 ▽1943年2月20日 神奈川県横浜市に生まれる。
 ▽14歳の時に家族とともにブラジルに移住。
 ▽60年 力道山にスカウトされて帰国し、日本プロレスに入団する。大木金太郎を相手にプロデビュー。
 ▽61年 ジャイアント馬場と初対戦。
 ▽66年 東京プロレスを旗揚げ。
 ▽67年 日本プロレスに復帰。
 ▽72年 再び独立し、新日本プロレスを設立する。
 ▽74年6月26日 タイガー・ジェット・シンと対戦。以降、激闘を繰り広げ続ける。
 ▽76年2月6日 ウィリエム・ルスカと初の異種格闘技戦。
 ▽76年6月26日 モハメド・アリと「格闘技世界一決定戦」で対決した。会場となった日本武道館は1万4500人の観客で超満員。試合は37カ国に衛星中継され、14億人が視聴していた。
 ▽79年8月26日 プロレス夢のオールスターでジャイアント馬場とタッグ。
 ▽80年2月27日 ウィリー・ウィリアムスとの異種格闘技戦では両者ドクターストップの死闘を演じる。
 ▽80年9月25日 スタン・ハンセンに勝利する。
 ▽83年6月2日 ハルク・ホーガンと死闘。
 ▽85年4月18日 ブルーザー・ブロディと初対戦。
 ▽89年 スポーツ平和党を結成し、参院選に初めて出馬。レスラーとして初の国会議員に。ショータ・チョチョシビリにKO負けを喫する。
 ▽95年4月29日 北朝鮮・平壌のメーデースタジアムで19万人もの観衆が見つめる中、元NWAチャンピオンのリック・フレアーと激突。
 ▽98年 プロレスラーを引退。4月に引退試合を開催した。
 ▽2007年 IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を設立。
 ▽10年2月1日 世界のプロレス発展に貢献したことなどが認められ、日本人初となるWWE殿堂入りを果たす。この年はデビュー50周年のメモリアルイヤーでもあった。
 ▽11年8月27日 東日本大震災の被災者1000人をINOKI GENOME大会が行われた両国国技館に招待。被災地にも足を運ぶなど復興支援を積極的に行った。
 ▽17年10月21日 東京・両国国技館でのイベント終了後に生前葬が営まれる。愛弟子の藤波辰爾、藤原喜明が参列。リング上に棺が置かれ、7000人の観客がキャンドルを掲げる中、追悼の10カウントゴングが打ち鳴らされた。
 ▽20年2月20日 77回目の誕生日に都内のホテルで「喜寿を祝う会」を開催。ユーチューブの公式チャンネル「最後の闘魂」を開設した。

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