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数々の名勝負残したアントニオ猪木さん 異種格闘技戦、夢のオールスター戦、巌流島…

[ 2022年10月1日 13:27 ]

巌流島で行われたマサ・斉藤(右)と世紀の対決をするアントニオ猪木。取材ヘリが上空を飛ぶ(1987年10月4日)
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 1日に死去したアントニオ猪木さん(享年79)は、1960年にプロレスデビューを果たし、98年に引退。歴史に残るムハマド・アリとの異種格闘技戦を始め、ライバルたちと名勝負を繰り広げ、数々の伝説を残した。

 ◆ストロング小林戦(74年3月19日 蔵前国技館) 前年に国際プロレスのエースだった小林が「フリー宣言」を行い、内容証明郵便で猪木に挑戦状を送りつけた。団体のエース同士の対決に、当日は1万6500人の超満員。試合は小林の猛攻をしのいだ猪木が、必殺のジャーマン・スープレックス・ホールドで激勝した。

 ◆「大阪腕折り事件」 タイガー・ジェット・シン戦(74年6月26日、大阪府立体育館) 1本目でシンは徹底した反則攻撃により猪木は大流血。2本目、怒った猪木がシンの腕に集中攻撃を仕掛け、鉄柱やアームブリーカーでシンの右腕を骨折させた。ドクターストップで猪木がタイトルを連続防衛した。

 ◆プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ戦(76年6月26日、日本武道館) ルールで立った状態でのキックが禁止された猪木は終始、寝転びながらアリの足を蹴った。猪木は15ラウンドほぼ全ての時間を寝ながら戦い、アリも為す術もなく両者引き分けの判定。後に片方が立ち、片方が寝た状態の攻防を「猪木アリ状態」と呼ばれるようになった。

 ◆「夢のオールスター戦」 馬場&猪木VSブッチャー&シン(79年8月26日、日本武道館) 対立関係にあった団体の垣根を越えた夢のタッグに、武道館に押し寄せた1万6500人が沸いた。馬場と猪木の合体殺法にファンは熱狂。試合後、反目しあっていた馬場と猪木がリング上で抱き合って再戦を誓ったが、かなわなかった。

 ◆「巌流島の決闘」 マサ斎藤戦(87年10月4日、山口県・巌流島) 武蔵と小次郎の決戦にあやかり、無人島である巌流島で無観客・無制限のノールールで実施。猪木は決闘2日前に離婚届を提出し、身辺を整理してリングに上がった。2時間以上にわたる死闘の末、最後はマサを絞め落とした猪木が2時間5分14秒でTKO勝ちした。

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