ドジャース・大谷 背番号「42」で躍動!ジャッキー・ロビンソン・デーに1安打1盗塁2得点

[ 2024年4月17日 01:30 ]

ナ・リーグ   ドジャース4―6ナショナルズ ( 2024年4月15日    ロサンゼルス )

<ドジャース・ナショナルズ>6回、二盗を決める大谷(撮影・光山 貴大)
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 ドジャースの大谷翔平投手(29)が15日(日本時間16日)、移籍後初の「ジャッキー・ロビンソン・デー」となったナショナルズ戦で1安打に1盗塁、2得点と存在を示した。試合は敗れ、日本選手最多を更新する176号もお預けとなったが、前身のブルックリン・ドジャースで活躍した黒人選手初のメジャーリーガーがデビューした記念すべき日に背番号「42」でプレー。先人のパイオニア精神を、引き継いでいく。

 背番号42を背負うと自然と力がみなぎる。初回1死。大谷はメジャー初登板の左腕パーカーのカーブを強振。鋭い打球が一、二塁間を破った。15試合連続出塁。全選手が同じ背番号をつける「ジャッキー・ロビンソン・デー」での移籍後初めてのプレーで躍動した。

 試合後、デーブ・ロバーツ監督は「翔平は特別な選手。バットにボールが当たれば強い打球が生まれ、何か良いことが起きる」と言った。6回に捕手のミットにバットが当たり「打撃妨害」で出塁した直後には今季3度目の盗塁となる二盗にも成功。初回、6回とも本塁に生還し、2番の役割を果たした。3点を追う7回2死一、二塁では中飛に倒れて今季の得点圏打率は・063に低迷しているが、77年前の4・15に人種の壁を越え、前身のブルックリン・ドジャースで黒人初の大リーガーとしてデビューした記念日に行われる同イベントは通算19打数7安打で打率・368となった。

 練習開始前、大谷は両軍の選手らと球場の中堅後方にあるロビンソン像の前に集まり、セレモニーに参加。練習では「Breaking Barrier(垣根を取り払え)」と書かれたTシャツを着用した。試合前にはスピーチを行ったNBAのレジェンドでドジャースの共同オーナーであるマジック・ジョンソン氏とも対面した。

 ロビンソンが歴史の扉を開かなければ現在の大谷ら日本選手の活躍もなかったかもしれない。試合は敗れて2連敗となったが、沖縄生まれで日本人の母を持つロバーツ監督も「あらゆるスポーツで、ジャッキーは私を含め多くの有色人種や女性への扉も開いてくれた存在。非常に大きなこと」と感謝する。不条理な差別へと立ち向かったパイオニアから、唯一無二の二刀流として地位を確立したパイオニアへ。その思いは、しっかりと受け継がれている。(柳原 直之)

 ▽ジャッキー・ロビンソン・デー 白人中心の米国社会で人種差別が色濃く残っていた1947年4月15日にブルックリン・ドジャースでデビューし、差別とも闘いながら同年に初代新人王に輝いた黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンにちなみ、04年に制定。当初は希望者のみがロビンソンの背番号42(97年から全球団の永久欠番)をつけたが、09年以降は全選手、首脳陣、審判がつけて試合に臨んでいる。

 ≪始球式で捕手役≫大谷は試合前、球団と今季から複数年のパートナーシップ契約を結んだ医薬品メーカー「興和」の三輪芳弘代表取締役社長が務めた始球式で捕手役を担った。今季の新登場曲「The Show Goes on」が流れる中、同社長のワンバウンド投球をしっかりと捕球。マウンドに小走りで駆け寄って握手を交わし、記念撮影にも笑顔で応じた。

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