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【内田雅也の追球】ラッキーゾーンが残した教訓 勘違いや力みを去り、謙虚に素直に打ち返す

[ 2022年5月26日 08:00 ]

交流戦   阪神1-6楽天 ( 2022年5月25日    甲子園 )

1991年まで設置されていた甲子園球場のラッキーゾーン

 今ではもう知らないファンも多いだろう。かつて甲子園球場にはラッキーゾーンがあった。外野フェンスの手前に金網を設け、狭くしていた。

 きょうはそのラッキーゾーンが生まれた日だ。1947(昭和22)年、タイガース監督(投手兼任)の若林忠志が「外野に塀を作り、ファンが求めるホームランを出やすくしよう」と提案。阪神電鉄運動課長・辰馬龍雄(後の西宮市長)が「面白い」と採用した。

 今とは形状が異なり、左中間・右中間は128メートルもあった。公式戦中の突貫工事で108・5メートルと約20メートルも短くした。

 お披露目が5月26日の南海(現ソフトバンク)戦だった。1リーグ時代である。当日、選手たちは「これならすぐホームランが出そうだ」と話していたが、力んだ大振りが目立ち、本塁打は出なかった。若林自らが1―0で完封してしまった。

 国際基準に応じ、1991年限りでラッキーゾーンは撤去された。春夏の甲子園大会で使用する日本高野連から「ホームラン量産は歓迎すべきことではない」との要望もあった。球児が勘違いしてしまうというのだ。

 力みや大振り、そして勘違い。ラッキーゾーンが残した教訓である。

 この夜は浜風が強く、左翼へ3本塁打が舞った。阪神・大山悠輔は外角高めスライダーを引っ張り左翼席に運んだ。

 先発・西純矢は辰己涼介に左中間へ、浅村栄斗に左翼席に運ばれた。辰己にはフルカウントにした後、浅村には変化球が続けて外れた後、いずれも直球を打たれた。浅村にはサインに首を振っての直球を狙われた。

 ただ、辰己も浅村もコンパクトにたたくスイングで力みはなかった。銀次の2点打も直球を遊撃頭上へ打ち返していた。

 一方、阪神の各打者は1年半ぶりの登板となる先発・辛島航の軟投に力み打たされていた。救援陣にも同様で5安打で得点は大山のソロだけだ。

 これだ、という安打は中野拓夢が8回裏に放った一打だ。宋家豪の直球をセンター返しした。

 その中野も今月14日に横浜で2本塁打した後、22日まで29打数2安打と狂った。一発の感覚が染みついていたのか。

 勘違いや力みを去り、謙虚に素直に打ち返すのだ。甲子園のどこかで今はなきラッキーゾーンが見ている。=敬称略=(編集委員)

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