1・17で目覚めた“ファンファースト”の精神 「がんばろうKOBE」精神を伝えるのは藤井の使命

[ 2022年1月17日 07:00 ]

阪神・淡路大震災から17日で27年

1995年9月19日、リーグ優勝を果たし、マウンドに駆け寄るオリックス・藤井康雄(右)
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 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から、17日で27年となる。当時、オリックスの主力打者だった阪神・藤井康雄1・2軍巡回打撃コーチ(59)は自動車を運転中に被災した。リーグ制覇をした震災シーズンに気付かされた“ファンファースト”の精神を、今季就任した新天地でも伝える。

 27年前のあの瞬間、藤井コーチは車を走らせていた。前夜の16日、母校の泉州(現近大泉州)のOB会に出席。大阪市内から神戸市内の自宅へ帰る途中で午前5時46分を迎えた。阪神高速道路を降りた直後、地面が波打つような揺れに襲われた。「あと何分かずれていたら」。阪神高速道路の倒壊に直面していた。

 「がんばろうKOBE」を掲げた95年シーズンは、4月1日に開幕した。市民生活に深い傷痕が残り、「お客さんは足を運べないだろう」と感じていた。ところが、開幕戦のグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)に3万人が入るなど、「毎試合、ファンを励ますつもりが逆に励まされた」と後押しを受けた。オリックス誕生7年目でのリーグ初制覇。この震災の一年が、33歳のスラッガーの心境に変化をもたらした。

 「ここで打てばお客さんが喜んでくれる。震災を経験して、そんな思いでプレーができるようになった」

 自分のためでなく、ファンを思って打席に入ると、好機で気持ちが楽になった。01年に3本の代打満塁弾を放つなど、勝負強い打者として長く活躍した。

 今季、阪神の1・2軍巡回打撃コーチに就任した。同じく震災を経験した新天地で、伝えたい信念がある。

 「かっこよく思われたいとか、稼ぎたいとか、いろんな動機で入団すると思う。だけど、忘れないでほしい。ファンのおかげで、我々の仕事が成り立っているということ。お客さんが楽しい気持ちで球場から帰れるように、努力をしてほしい」

 震災が原点になった“ファンファースト”の思い。コロナ下で来場に制限がかかる今、その精神はより尊くなる。 (倉世古 洋平)

 ◇藤井 康雄(ふじい・やすお)1962年(昭37)7月7日生まれ、広島県福山市出身の59歳。泉州からプリンスホテルを経て、86年ドラフト4位で阪急(現オリックス)に入団。主力打者として95年のリーグ制覇、96年の日本一に貢献。プロ16年で通算282本塁打。満塁本塁打14本は歴代3位タイ。コーチとして、オリックス時代にT―岡田、ソフトバンク時代に松田、中村晃、今宮らの指導にあたった。右投げ左打ち。

 ▽95年のオリックス 阪神・淡路大震災で地元神戸が被災。就任2年目の仰木彬監督は「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げる。チームは6月中旬以降独走で、7月22日にマジックナンバー43が点灯。9月19日の西武戦で11年ぶり12度目のリーグ優勝。最終成績は82勝47敗1分け、勝率.636で2位・ロッテに12ゲーム差だった。イチローが打率、安打、出塁率、打点、盗塁の5冠で2年連続のMVP。2年目の平井が15勝27セーブで新人王に輝いた。藤井は14本塁打、49打点。右翼と一塁を守り、優勝決定の試合ではウイニングボール(9回、吉竹の一ゴロ)を処理した。

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