【内田雅也の追球】人生を映す「神戸」決戦 26年前の思いも背負い、寒さを払う熱戦を

[ 2021年11月27日 08:00 ]

「がんばろうKOBE」を合言葉に戦った田口(左)、イチローら95年のオリックス
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 寒い夜だった。杜(もり)を抜ける冷たい風が場内を舞っていた。

 オリックス・イチローは「神戸に帰れなかったのは申し訳ない」と言った。1995年10月26日の神宮球場。日本シリーズでヤクルトに4敗目を喫した試合後である。

 第5戦で終わったためグリーンスタジアム神戸(命名権で今は、ほっともっとフィールド神戸)での第6、7戦がなくなった。監督・仰木彬も後に出した著書『勝てるには理由がある』(集英社)で<無力感すら感じさせた>と書いた。

 あれから26年。再び神戸で同じヤクルト相手に日本シリーズを戦える。オリックスにとってはヤクルトに対してはもちろん、当時の自分たちにリベンジするチャンスを得たわけだ。

 阪神淡路大震災に見舞われた95年、合言葉の「がんばろう!KOBE」をユニホームの袖に縫い付けての快進撃は復興に向かう人びとの希望の灯だった。後に大リーグでワールドシリーズ優勝も経験した田口壮(現外野守備走塁コーチ)が「世界一より価値のある優勝だった」と語っている。

 被害は広範囲に及び、神戸だけでなく、淡路も芦屋や西宮の阪神間もひどかった。「神戸」「KOBE」は単なる都市名ではなく、被災地をまとめて言う言葉だった。今回も神戸と書くとき、被災地全体、被災した方々を思って書いている。

 多くの人が犠牲となった。東日本大震災を経験した作家・伊集院静が『不運と思うな。』(講談社)に書いていた。<天上へいった人々。海の底に、土の下に眠る人々。哀(かな)しみだけを想(おも)うのをやめなくてはならない>。

 時は悲しみをやわらげる。当時のファンもずいぶん齡(とし)をとったろう。あの年生まれた赤ちゃんは26歳の立派な大人である。仰木は鬼籍に入り、イチローは48歳、田口は52歳、いま監督の中嶋聡も52歳である。

 <野球というスポーツは>と先の伊集院が『許す力』(同)に書いている。<野球の神様がいる、といわれるくらい(中略)奥が深く、そして実際のゲームでは奇跡と呼ばれるプレーが生まれる。その魅力を一度知った人は離れなくなり、己の人生とともにベースボールゲームを見つめる>。

 神戸では人生を映す試合となる。季節はきょうから七十二候の「朔風払葉」(きたかぜ このはを はらう)。寒さを払う熱戦を待っている。 =敬称略=
 (編集委員)

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