エンゼルス・大谷 投手で“129年ぶり”20盗塁 定義違った19世紀野球を掘り起こした

[ 2021年8月30日 02:30 ]

インターリーグ   エンゼルス10―2パドレス ( 2021年8月28日    アナハイム )

<エンゼルス・パドレス>5回1死一塁、大谷は二盗を決める(撮影・沢田 明徳)
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 エンゼルスの大谷翔平投手(27)が28日(日本時間29日)、パドレス戦の5回に今季20盗塁目となる二盗を決め、球団初で史上32人目の「40本塁打&20盗塁」を達成。投手で20盗塁は1892年のボブ・カラザーズ以来、実に129年ぶりの快挙となった。初回に投球が右手首付近を直撃するアクシデントがあったが、交代することなく躍動。全米の注目を集める二刀流が、またまた古い歴史を掘り起こした。

 低い姿勢からトップスピードに達し、スピードを維持してベースに滑り込む。5回1死一塁。大谷が当たり前のように二盗に成功し、20盗塁に到達した。

 「残り試合も毎日、際立つことをやってくれるだろう。さらに彼は投手もしているんだから素晴らしい」

 試合後、ジョー・マドン監督は称賛した。すでに41本塁打でリーグトップを快走しており、球団初、大リーグ史上32人目のシーズン「40―20」を達成。ア・リーグでは11年のグランダーソン(ヤンキース)以来10年ぶりで、8月までの達成は99年のケン・グリフィー(マリナーズ)、07年のアレックス・ロドリゲス(ヤンキース)以来3人目だ。もちろん日本選手初で米国出身以外では史上5人目の快挙。同僚のウォルシュも「翔平は毎日、新たな記録を打ち立てる」と半ばあきれ顔だ。

 シーズン15試合以上投げた投手では1892年のボブ・カラザーズ(セントルイス・ブラウンズ=現オリオールズ)以来129年ぶりの20盗塁。カラザーズを含む計20選手が達成しているが、いずれもプレーは19世紀だ。大谷の記録は1901年以降の近代野球では異次元の数字といえる。

 10日以来の「2番・DH」で出場し、無死一塁で左腕ウェザーズの93マイル(約150キロ)の速球が右手首付近を直撃。大きな声を上げ、患部を押さえながら痛がる姿に場内は静まり返った。死球ではなくスイングを取られて空振り三振。ベンチ裏でのエックス線検査で骨に異常がなかったため、その後も打席に立ち続けた。ただ、マドン監督は9勝目を狙う31日(日本時間9月1日)のヤンキース戦の先発登板については「明日に痛みが出るかも。まだ答えは分からない」と慎重な姿勢だ。

 残りは31試合。唯一無二の二刀流は、野球の醍醐味(だいごみ)である「スピード&パワー」を体現しながら最後まで駆け抜ける。(笹田 幸嗣通信員)

 《19世紀「盗塁」の定義違った》野球のルールが確立される前の19世紀の記録は、単純に今とは比較はできない。盗塁が現在のように定義されたのは1898年。それ以前は走者が他の選手の安打で塁を余分に進めた場合なども「盗塁」と記録されていた。例えば一塁走者が単打で三塁まで進めば、盗塁1となる。ナ・リーグで盗塁という言葉が言われ始めたのは1877年で、1886年から試合内容の要約に「盗塁」として書き込むようになった。15試合登板以上で20盗塁は、1892年のボブ・カラザーズ以来だが、1890年にはエド・デイリーの62盗塁という記録もある。当時は投打の二刀流は当たり前。盗塁が今の定義になって以降では、1899年のウィン・マーサー、1901年のザザ・ハーベイの16盗塁が投手最多だった。

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