マー君 “チーム最年少”北京五輪から13年 経験重ね…闘志あふれる投球に期待

[ 2021年7月25日 09:00 ]

08年北京五輪での田中将大
Photo By スポニチ

 紆余曲折あって開幕した東京五輪。野球取材ばかりだった記者にとっては、五輪取材はほぼ縁がない。記憶をたどってみると“ニアミス”したのは08年の北京五輪だった。

 当時は楽天担当。同年7月17日に代表選手が発表され、当時19歳だった田中将が「星野ジャパン」のメンバーに入った。ところがその5日後の7月22日。田中将は「右上腕二頭筋長頭部の炎症」と診断され出場選手登録を抹消された。翌23日に受けた精密検査では「右肩の軽度の腱板損傷および関節唇の軽度の炎症」の診断。約1週間のノースローを経て投球を再開し、8月1日の球宴第2戦で実戦復帰。そのまま五輪直前合宿に合流した。

 五輪出場が微妙だったこの7月終盤。仙台市内の2軍施設で調整していた田中将を励まそうと、数人で仙台の人里離れたお店を探し当てて、お好み焼きを食べに行った。プロ2年目で初めて故障での登録抹消。日本代表選出時には「出たくても選ばれない人もいる。責任を持って頑張りたい」、「僕が一番年下なのでやることはたくさんあるし、そういうのもチームの役目のひとつ」と話していた若き右腕。お好み焼きを食べながら、ため息を連発していた姿が印象に残っている。故障のショックと、五輪出場が可能かどうかという微妙な状況。表情は暗くはなかったが、口数も少なかった。数日後、無事に北京で投げる姿にホッとした思い出がある。

 あれから13年。32歳になり同い年の坂本、柳田、大野雄とともに、侍ジャパンの最年長メンバーとして東京五輪の戦いに挑む。その間、不敗神話を作り上げ、メジャー移籍した7年間では、ヤンキースで最も勝ち星を挙げた投手(78勝)にもなった。豊富な経験に、ほぼ一発勝負の国際舞台という状況で、田中将が最近、控えめにしてる闘志あふれる投球を全開させてくれることを期待している。

 08年以来の五輪復帰となった野球競技。日本復帰したからこそ、侍のユニホームを着ることが叶った。何かの巡り合わせ。ソフトボールとともに4年に1度ではなく、13年ぶりの野球競技は28日に開幕する。(記者コラム・春川 英樹) 

続きを表示

「始球式」特集記事

「ドラフト」特集記事

2021年7月25日のニュース