王さん、松坂は「本当に記憶に残る凄いピッチャーでした」

[ 2021年7月8日 05:30 ]

西武・松坂大輔 今季限りで引退

06年WBC、笑顔で優勝会見をする(左から)イチロー、王監督、松坂
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 ソフトバンクの王貞治球団会長はユニホームを脱ぐ決断を下した松坂について「甲子園、西武、そしてアメリカでも活躍してね。常にずぬけたピッチングをしていました」と球団を通じてコメントした。日本代表監督として指揮を執った06年の第1回WBCでは松坂はエースとしてフル回転。決勝のキューバ戦を含めて3試合に先発して3勝を挙げるなど初代優勝に大きく貢献しただけに「日本のために頑張ってMVPになり、本当に記憶に残る凄いピッチャーでした」と述懐し「第二の人生でも大いに活躍してください」とエールを送っていた。

 《巨人・原監督WBC連覇を回想》巨人・原監督が指揮した09年WBCで、松坂は先発3試合で全て白星を挙げて世界一連覇に貢献。2大会連続MVPとなり「エースとしてキューバ、米国を相手にした。世界一を獲れたのは松坂の力が非常に大きかった」と回想した。相手のコース伝達への対策として、捕手・城島健司のミットの構えに逆球を投じたことを「非常に(優れた)対応力、順応力」と称えた。この日、引退の報告を電話で受けたという。「世界中の投手の中で、一番大きな舞台でたくさん投げた投手。振りかぶった時に球場を静まり返らせることができる数少ない投手」と凄さを表現した。

 《上原氏「寂しいなぁ」》巨人やレッドソックスで活躍した上原浩治氏はツイッターで「ついに来たか。誰もがいずれ引退はするけど、やっぱり」とつづった。松坂とともに1年目の99年に新人王に輝き、上原氏は「雑草魂」、松坂は「リベンジ」で流行語大賞も受賞した。横浜高時代から注目されていた年下の松坂を「周りからの目、手術など、想像ができないくらい大変だったと思うね。高卒、大卒で立場が違うって思いながら、いろいろ比べられたなぁ。おつかれ!」とねぎらった。

 《「大輔」の由来・荒木コーチ指導3年間思い出》松坂が誕生した頃の甲子園のアイドルで、「大輔」命名の由来になったのが日本ハム・荒木投手コーチ。名前の縁で初めは評論家として取材を重ね、04~06年は西武投手コーチとして指導する側になった。「茶髪や時間のルーズさ…悪い面は厳しく言ってきたが、野球に関してはしっかりやれる子だった。凄くいい時を過ごせた3年間。同じユニホームを着られてうれしかった」と話した。

 ▼片岡篤史氏(スポニチ本紙評論家。日本ハム時代の99年4月7日に松坂のデビュー戦で対戦し、2三振を含む4打数無安打)対決を楽しみにしていた。(初回に)155キロの真っすぐを空振りしたけれど、その前のスライダーを見た時の方がビックリした。1年目から16勝するだけあって、完成されていたと思います。少し休んでもらって、これから野球界に貢献してほしい。

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