【内田雅也の追球】粘投の阪神・青柳の「時間」の綾 3秒台で連発、6秒台5球連投で決勝打

[ 2021年4月22日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2-3巨人 ( 2021年4月21日    東京D )

<巨・神(5)>4回1死、岡本(奥)に2打席連続となるソロ本塁打を浴びて同点とされ、厳しい表情の青柳(撮影・北條 貴史)
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 投手板から本塁までのバッテリー間の距離は野球草創期から変遷してきた。当初は45フィート(13メートル72)だったのが50フィート(15メートル24)となり、現在の60フィート6インチ(18メートル44)に落ち着いたのは1892年のことだ。一部で1893年との説もある。

 この6インチ(約15センチ)という端数は<60フィート0インチとなっていたのを近眼の測量士が6インチと見誤って、今日のような半端な距離になった>と『ジョン・マグロー伝』(ベースボール・マガジン社)にある。<ウソのような逸話>だそうだ。

 ともかく、以後バッテリー間は18メートル44で変わらない。本塁の幅は43・2センチでボールを並べれば7個分ある。ストライクの高さは打者で異なるが、「大リーグ最後の4割打者」テッド・ウィリアムズは11個分あった。ストライクゾーンにボール77個が入ったと名著『バッティングの科学』に記している。

 1959(昭和34)年に38勝をあげるなど、南海(現ソフトバンク)黄金期を担った杉浦忠は「距離もゾーンも変わらないが、緩急や時間差を使えば、変化は無限に広がる」と語っていた。本紙評論家だった1990年代、東京ドーム記者席で聞いたのを覚えている。

 杉浦は下手投げだった。技巧派が多い下手投げにあって速球系主体の本格派だった。阪神・青柳晃洋と同じだ。変化球はカーブぐらいでビュンビュン投げた杉浦が時間を操る術を主張したことに投球の奥深さを思う。

 この夜の青柳はよく投げた。9安打されながら6回3失点でクオリティースタート(QS)を記録してのタフ・ロス(辛い敗戦)だった。

 不調と見えたなか、粘れたのは杉浦の言う時間を操っていたからだとみている。

 140キロ台の直球とシュート(ツーシーム)に120キロ台のチェンジアップで緩急差をつけた。

 目をひいたのは時間差である。青柳は走者の有無にかかわらず、セットポジションから投げる。セットしてから始動までの時間に変化をつけていた。「長持ち」と呼ばれる長いセット時間を織り交ぜた。

 過去17打数12安打(打率・706)と苦手にしていた梶谷隆幸には手もと計測で2秒31~7秒93と5秒以上の差をつけ、3打数無安打に封じた。

 ただ、岡本和真の連発はともに3秒台(3秒10と3秒03)。ともに初球の内角低めシュートで、同じリズムで入った初球を狙われた格好だった。当代一と言える「ゴロ投手」が、すくい上げる「フライボール打撃」で左中間席まで運ばれた。名勝負として覚えておきたい対決だった。

 もちろん、岡本にも時間差をつけて投球はしていた。1回裏2死一塁での打席。初球はやはり内角低めシュートでボール。2、3球目も内角シュートで攻めたが、セット時間は7秒93と3秒62と差をつけていた。4球目のセット中、一塁走者・梶谷が飛び出して、二塁送球で刺した。岡本の打席は幻となった。梶谷がスタートを切ったのは、セット時間が6秒を過ぎたころで「長持ち」でけん制はない、とでもクセをみていたのかもしれない。

 6回裏に失った決勝点は、いずれも詰まらせた不運な3安打だった。

 ただ、吉川尚輝に浴びた左前へのポテン適時打はセット時間6秒台が5球続いたスライダーだった。

 2死一、二塁。二塁走者を見ながらセットして、首を本塁―二塁―本塁と振って、左足を上げる。投球は良かったが、呼吸が合ってしまったのだろうか。

 ピュリッツァー賞4度受賞の米国の詩人、ロバート・フロスト(1874―1963年)が書いている。<詩人は、野球の投手のごとし。詩人も投手も、それぞれの間を持つ。この間こそが、手ごわい相手なのだ>

 時間を巡る綾(あや)を思った。=敬称略=(編集委員)

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