【内田雅也の追球】胸に刻みたい「熱球」 哀しい藤浪大炎上 惨敗の阪神に望む心

[ 2020年9月6日 07:30 ]

セ・リーグ   阪神2―11巨人 ( 2020年9月5日    甲子園 )

三宅秀史さん直筆の座右の銘「熱球」
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 藤浪晋太郎の大のつく炎上は情けなく、哀(かな)しくもあった。首位巨人を追う阪神には負けられない一戦をぶち壊したのだ。

 3回表での0―7で大勢は決したが、裏の打席にも立って続投。5回表2死で降板となった。13連戦中、救援陣の消耗を考えれば、先発最低限の役目としての5回満了もかなわなかった。

 11失点は阪神球団史上ワースト記録だった。伝統の一戦で着た汚名を今後すすぐことはできるだろうか。降板後、針のむしろのベンチで戦況を見つめる姿がまた哀しい。

 阪神の先人には『哀愁のサード』と呼ばれた三宅秀史(86)がいる。平岡泰博の著書のタイトルだ。同書で、三宅は野球人生の悔いについて問われ「……あのね、大ありや」と答えている。

 この日9月5日は1962(昭和37)年、三宅が連続フルイニング出場を700試合とした日だった。金本知憲(現本紙評論家)が破るまでのプロ野球記録だった。

 翌6日、大洋戦(川崎)の試合前練習中、ボールを左目に受け、病院に搬送された。「虹彩離脱眼底出血」で、選手生命をほぼ絶たれた。

 晩年を過ごす三重県鈴鹿市に訪ねたことを思い出す。駅まで出迎えてくれた。中華料理店でノンアルコールビールで乾杯し、企画の座右の銘を聞いた。三宅は黙って色紙に向き合い、筆を走らせた。

 「熱球 三宅秀史」

 達筆である。最近は聞かれなくなった「熱球」は明治時代からある言葉だ。選抜高校野球の前の大会歌『陽(ひ)は舞いおどる甲子園』(34年制定、薄田泣菫作詞)には「長混(ちょうこん)痛打して 熱球カッと 飛ぶところ」とあった。情熱のこもった、気合の入ったボールといった意味である。

 「あのね、丸い物というのは正直なんですよ」と三宅は言った。「ボールは正直です。跳ねたり切れたり伸びたり……打球も投球も送球も自然の変化をする。このボールに逆らっちゃいけません」

 実に味わい深い。野球の心、野球人の心を語っているような気がした。

 藤浪はボールに耳を寄せて聞いてみてはどうだろう。正直なボールは投げる自分に従って球道を描いているのである。

 正直とは阪神監督・矢野燿大が目指す姿勢にも通じている。求めるのは「一塁まで全力疾走」といったで真摯(しんし)な敢闘姿勢である。

 大差がついた試合後半、糸原健斗が6回表に守備につき、骨折から1カ月半ぶりに出場した。7回裏の打席で見せた遊ゴロでの力走が目をひいた。凡ゴロだが、一塁は間一髪だった。直後に大山悠輔が本塁打したのは、目の前での主将の姿に奮ったのだろう。
 先に藤浪を「哀しい」と書いたが、本当に哀しいのは野球ができなくなった三宅である。猛虎たちはまだプレーができるではないか。

 ゲーム差は大きかろうが、何だろうが、まだ56試合も残っている。今回の巨人4連戦も半分を終えただけである。

 思い返したい。今年は新型コロナウイルスの影響で開幕が3カ月も延期となった。自粛期間中、野球への思いが募ったではないか。球場に戻った時の感激を忘れてはいけない。猛虎たちは、先人の思いがこもった「熱球」の心を胸に、戦うしかないのである。=敬称略=(編集委員)

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