【夢のご当地オールスター・福岡編】“玄界突破”ばい!お祭り打線で頂点獲っと~

[ 2020年5月3日 05:30 ]

阪神時代の新庄
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 「博多祇園山笠」と「博多どんたく」。祭り好きの福岡のドリームチームの中心には、プロ野球を代表するお祭り男・新庄剛志(西日本短大付)がいる。

 阪神、日本ハムでそれぞれの本拠地を熱くさせ、01年にはマリナーズのイチローとともに、メッツで日本人野手初のメジャーデビューを果たした。翌02年には日本人選手として初めてワールドシリーズに出場したパイオニアだ。

 新庄劇場を挙げればキリがない。99年6月12日の巨人戦(甲子園)では延長12回1死一、三塁の場面で、槙原寛己の敬遠球を打ちサヨナラ安打。「敬遠のボールでもバットは届く」と野村克也監督の了解を得て、事前に準備した上での、劇的シーンだった。日本ハム時代の04年オールスター第2戦(長野)では3回2死三塁から、球宴史上初となる単独本盗を記録。腹ばいのまま、両手両足で地面を叩き続けて喜びを表し、MVPに輝いたプレーも忘れられない。

 抜群の身体能力と、常識にとらわれない発想でスターの座を手にした新庄は今年、プロ野球復帰を宣言。48歳で秋のトライアウト挑戦を視野に入れ、動き始めた。新たな幕が開くのか注目が集まる。

 阪神関係では真弓明信(柳川商)の存在も外せない。初回先頭打者本塁打41本を記録した猛虎史上最強のトップバッター。日本一を果たした85年には打率・322、34本塁打、84打点とクリーンアップ級の数字を残した。現役からは梅野隆太郎(福岡工大城東)だ。「梅ちゃんバズーカ」「梅ちゃんウオール」と呼ばれる強肩とワンバウンド処理のレベルは高い。阪神の先輩・若菜嘉晴(柳川商)を押しのけてのメンバー入りだ。

 一塁に入った小鶴誠(飯塚商)は49年に大映で首位打者を獲得。松竹に移籍した50年には水爆打線の中核として活躍し、51本塁打、161打点で2冠を獲得してMVP。腰の回転を使いダウンスイングで打つゴルフスイング打法を開花させた。この年に記録した年間143得点、161打点、376塁打はいまだに破られていない日本記録だ。引退後は阪神のスカウトとして掛布雅之の入団テストを担当したエピソードも持っている。

 イチローの名付け親で、その采配は「マジック」と呼ばれた仰木彬(東筑)は西鉄黄金時代の二塁手。南海、ダイエーで活躍した山本和範(戸畑商)は2度戦力外通告を受けながら、現役にこだわった野球の虫だ。

 投手では05年の沢村賞投手・杉内俊哉(鹿児島実)がいるが、エースには南海で野村克也と同期だった宅和本司(門司東)を抜てきした。高卒でプロ入り1年目の54年に26勝9敗、2年目には24勝11敗。2年で50勝という驚異的デビューだった。3年目6勝のあとは故障などで0勝のまま8年で引退。ドリームチームで全盛期をもう一度見せてほしい。

 お祭り軍団をまとめるのは、男の背中で率いる高倉健。二塁・仰木の高校の4年先輩で、深い親交があったことで知られている。(鈴木 光)

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