【タテジマへの道】原口文仁編 家族の愛が後押ししたプロへの道

[ 2020年5月3日 15:00 ]

これまで支えてくれた両親への感謝を胸にプロ生活をスタートさせる原口

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第11回は、09年ドラフトで6位指名された原口文仁編を配信する。

 好きな言葉は「感謝」。一番、誰にその気持ちを伝えたいかと聞かれると「もちろん家族です」と答えながら照れ笑いを浮かべた。両親の支えなくして、原口のプロ入りはなかった-。

 小学6年の冬、「練習場がほしい」と父・秀一さんに頼み込んだ。裏庭の雑木林を切り開きスペースを確保。暗くなっても練習ができるように電灯も付け、ナイター設備も完備。1カ月間をかけ、世界に一つだけの手作りケージが完成した。高校入学後は、練習から帰ってくると打ち込みを行うのが日課となった。投手役は父・秀一さんが務めた。「遅いときは午前2時まで打つこともありました」。父と子の夜間特訓で打撃力に磨きをかけた。

 実家は埼玉県寄居町。帝京高入学後は片道2時間をかけて通学していた。午前5時24分の始発に乗り、帰宅するのは午後11時。そんな中、母・まち子さんは睡眠時間を削って息子の夢を応援し続けた。「午前3時50分には目覚ましをセットしていましたね」。帝京高校野球部は体づくりの一環として、昼食時にご飯3合を食べるのがノルマとなっていた。栄養が偏らないように、バランスのとれたメニューを考えて弁当箱におかずを詰め込んだ。原口が帰宅すれば、真っ黒に汚れたユニホームを洗濯。洗濯機ではなかなか汚れがとれないため、すべて手洗い。布団に入るのはたいてい日付が変わってからだった。家族の愛が、プロへの道を後押しした。

 7日、新入団選手会見を終えプロとしての第一歩を踏み出した原口。怪物左腕との約束は忘れていない。9月に行われた新潟国体。同じ宿舎だった菊池と意気投合し、地元の話やチームの話で盛り上がった。「埼玉の寄居と花巻、どっちの方が田舎だとか、お互いの高校のイメージとか話しました」。お互いの今後の健闘も称え合った。「同じチームでやれたらいいな。お互いプロに行っても頑張ろうな」。1軍に上がっていつかは菊池と対戦したい-。そんな青写真を描きながら、原口はプロ生活をスタートさせる。(2009年12月11日掲載、あすから秋山拓巳編) 

 ◆原口 文仁(はらぐち・ふみひと)1992年(平4)3月2日生まれの17歳、埼玉県出身。鉢形小4年時に「寄居ビクトリーズ」で野球を始め、城南中では「寄居シニア」で関東大会出場。帝京高では1年秋から正捕手。50メートル6秒7、遠投105メートル。右投右打。 

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