「絶対、甲子園に」プラカード嬢選考会の緊張感

[ 2019年7月11日 17:33 ]

市西宮高で行われたプラカード嬢のオーディション(11日、同校体育館)
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 【内田雅也の広角追球】体育館には緊張感がみなぎり、集まった女子生徒たちの顔はこわばっていた。

 第101回全国高校野球選手権大会の開会式(8月6日・阪神甲子園球場)でプラカードを掲げて選手を先導する生徒の選考会が11日、西宮市立西宮高校であった。

 2年生の女子生徒137人のうち、応募があった希望者106人が参加。代表49校と前年度優勝校で50人、国旗・大会旗11人、組み合わせ抽選会4人の計65人が選ばれる。競争率は1・63倍だ。正式名称は「式典誘導係」、通称で「プラカード嬢」と呼ばれる。

 選考会では、入場行進曲に合わせて歩き、プラカードに見立てた竹の棒を手に体育館を一周した。体育科教諭7人が見守り、審査した。

 結果発表は19日。8月1、2日と校内で練習を行い、3日の組み合わせ抽選会、5日の開会式リハーサル、6日の本番に臨む。

 選考会が終わると、硬かった女子生徒たちの表情も和らいだ。

 「ほんと、すごく緊張しました」と、野球部女子マネジャーの山本真子さん(17)に笑顔が浮かんだ。「わたし、緊張すると笑ってしまう性格なんです。今日も“みんな、何かおかしいなあ”って思ったら、笑いそうになって。あ、でも、笑いませんでしたから」

 小学生時代は軟式野球チームにも所属し、当時から甲子園に憧れていた。

 同じくマネジャーの松下采由(あゆ)さん(16)は「絶対、甲子園に行きたい!と思って、進学先はイチニシ(市西宮高)に決めました」と、宝塚市の自宅から「電チャリ」(電動アシスト自転車)で通う。中学3年のころ、プラカード嬢を務めた野球部マネジャーの牧野圭夏さんを報道で知り、あこがれが強まった。小学生のころから、全国大会にも出場した少林寺拳法、ゴルフ、吹奏楽(トロンボーン)に親しむなど多才だ。

 彼女たちの思いはもちろん、野球部と一緒に甲子園に出ることだ。審査にも立ち会った野球部監督の吉田俊介教諭は「今年はひそかにチャンスがあると思っています。ぜひ、一緒に行こう」と話していた。

 同校の兵庫大会初戦(2回戦)の相手は強豪・報徳学園。選考会の間、部員たちは報徳1回戦のVTRを見て、対策を練っていた。

 甲子園のプラカード嬢は1949(昭和24)年から同校女子生徒が務めて70年になる。白の帽子に白のブラウス、紺のジャンパースカートは昔も今も変わらず、開会式に花を添える。

 阪神で3度も監督を務め、日本一にもなった吉田義男さんは山城高(京都)2年だった1950(昭和25)年夏、甲子園に出場した。「今もあの感激は忘れられません。プロで選手、監督として甲子園で何千試合とやったが、初めての時は格別だった」

 著書『牛若丸の履歴書』(日経ビジネス人文庫)で<甲子園にまつわる思い出をもうひとつ>と追記しているのが開会式のプラカード嬢だった。<山城高を担当したのは確か横山葉子さんという、きれいな人だった>。

 余談だが、中学生のころに見たテレビの視聴者参加番組で、1973(昭和48)年、銚子商(千葉)主将だった木川博史さんがプラカード嬢と結婚し、出演していたのを覚えている。

 担当22年目になる水泳部顧問の青石尚子教諭は選考基準を「リズム感と姿勢」と話した。「それから、普通に歩くこと。主役はあくまで選手で、目立つ必要はありません」

 それにしても、あの緊張感。あれは甲子園への強い憧れがつくりだした空気だったのだろう。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高(和歌山)野球部時代は和歌山大会の開会式(紀三井寺球場)で3度歩いた。和歌山では海南高の女子生徒がプラカードを持って先導してくれた。彼女たちも花を添える存在だった。大阪紙面で主に阪神を書くコラム『内田雅也の追球』は13年目を迎えている。

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