平成センバツヒーローは今…最初のV腕は和菓子職人と指導者の二刀流

[ 2019年3月24日 09:30 ]

ナゴヤドームの近くで和菓子屋「喜来もち ろまん亭」を営む山田喜久夫さん
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 【平成センバツヒーロー あいつ今何してる?(1)】平成の過去30年の選抜大会では数多くのドラマが生まれてきた。ヒーローたちの雄姿、そして時を経た今を連載する。

 中日時代の本拠地・ナゴヤドームから徒歩5分。東邦(愛知)で平成最初の優勝投手となった山田喜久夫さん(47)は「喜来もち ろまん亭」の店主として無添加の本格わらび餅を売っている。毎朝4時から仕込むこだわりの品。5年前の開店当初は1日の客が1人だけということもあったが「味は間違いない。今は耐える時。高校時代の野球部の練習と比べれば…」と自分の仕事を信じた。

 今では評判が広がり、閉店前に売り切れる日もある。野球ファン以外のリピーターも多く「おいしかったからまた来たと言ってもらえるのが一番うれしい」と優しく笑う。今夏には新メニューを出す予定。2店舗目オープンも目指している。

 午後3時。店舗の営業が終わると和菓子職人から野球人に変身する。ボランティアで中学野球部をコーチし、自らが立ち上げた学童チーム「侍」では幼児から小学6年生を指導している。「自分が高校時代に教わった阪口監督の情熱を引き継いでやっています」。教えるのは技術よりも心だ。

 1989年(平元)、上宮(大阪)との決勝での延長10回逆転サヨナラ勝ちは語り草。山田さんは全5試合完投、防御率1・15の活躍で頂点に導いた。30年後の今大会には母校が出場。応援団長は野球部員の長男・斐祐将(ひゅうま)が務める。「平成最後も優勝となればいいね」。試合当日はアルプス席へ駆け付ける。 (八田 朝尊)

 ◆山田 喜久夫(やまだ・きくお)1971年(昭46)7月17日生まれ、愛知県出身の47歳。東邦で3度甲子園に出場し2年春に準V、3年春は優勝、夏は1回戦敗退。89年ドラフト5位で中日に入団し主に中継ぎとして活躍。99年に広島に移籍し、その年限りで引退。通算222試合に登板し6勝8敗、防御率3・76。00年から13年間、横浜、中日で打撃投手を務めた。左投げ左打ち。

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