元高野連会長、脇村春夫氏、殿堂入りに「感慨深い」 プロアマ関係改善に尽力

[ 2019年1月15日 17:00 ]

<2019年野球殿堂入り通知式>あいさつする脇村春夫氏(撮影・郡司 修)
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 野球殿堂博物館は15日、本年度の殿堂入りを発表し、特別表彰で元日本高校野球連盟(高野連)会長の脇村春夫氏(87)を選んだ。同日、東京ドーム内殿堂ホールで通知式があり、脇村氏は「殿堂に入るなど全くありえないことだと思っていた。野球はプロ・アマは一緒になって楽しくやるのが本来の姿。関係改善が認められたのは感慨深い」と喜びを語った。

 脇村氏は2002年11月、第5代日本高野連会長に就任。08年11月まで6年間務めた。在任中、断絶状態にあったプロ・アマの関係改善に尽力した功績は大きい。

 1949(昭和24)年、湘南高の2番・三塁手として夏の甲子園大会に初出場し、全国優勝を成し遂げた。1年後輩に後にプロ入りする佐々木信也氏(85)がいた。その父で慶大OBの久男氏が監督だった。慶大元監督・腰本寿氏直伝の「エンジョイ・ベースボール」の精神を引き継いでいた。

 会長就任時、長年スポーツキャスターも務めた佐々木信也氏から「プロが後輩の選手と話もできないのは不自然だ」と指摘を受け、自身も「本来あるべき姿ではない」と改革に動いた。

 就任直後の03年1月、プロ野球・川島広守コミッショナー(故人)と会談し「プロ・アマ問題検討委員会」を設置。7月には歴代コミッショナーとして初めて川島氏が大阪の日本高野連事務所を訪問。12月には大阪で現役プロ野球選手による高校野球部員対象のシンポジウム「夢の向こうに」を実現させた。この日、同じく殿堂入りした中日・立浪和義選手らが3時間、球児たちを前に熱弁をふるった。長らく禁止されてきたプロ選手による球児への指導は歴史的な快挙と言われた。

 シンポジウムは恒例化し、全国47都道府県を巡回する形で開催、今ではグラウンドでの実技指導も行われている。

 04年にはプロ野球の日本野球機構(NPB)と「新人選手選択会議(ドラフト会議)に関する覚書」を交わし「高校生の自由枠を認めない」と取り決めた。プロ入りの「抜け穴」が生じないように「退部届」を「プロ志望届」に改めた。05年には現役プロ選手の母校での練習を解禁した。甲子園球場ネット裏に「スカウト席」も設けた。

 脇村氏は1932(昭和7)年、東京生まれ。この日が87歳の誕生日だった。「春夫」は小正月の1月15日生まれから名づけられたという。

 東大教授、日本学士院長の経済学者、脇村義太郎氏は伯父、東大教授の鉱物学者、正田篤五郎氏は叔父。皇后・美智子さまのいとこにあたる。平成最後の表彰という縁に「私の殿堂入りを皇后さまがご存じがどうか……。普段会話などしているわけではありませんので」と言って笑った。

 父・礼次郎氏は三菱銀行に勤務し、転勤から小学校1年から3年まで米国ニューヨークで過ごした。当時は日本人学校も整備されておらず、現地の学校に通った。ヤンキースタジアムで観たジョー・ディマジオの雄姿が目に焼き付いている。野球のとりことなり、買ってもらったグラブやミットは宝物になった。

 帰国後は父の故郷、和歌山県田辺市に疎開。終戦を迎えた。旧制田辺中(現田辺高)1年だった。同校には後に巨人入りし、近鉄で監督も務めた岩本尭氏がおり、米国製グラブで一緒にキャッチボールしたそうだ。46年、湘南中(現湘南高)に転校し、創部間もない野球部に入った。

 東大の合格発表当日に野球部に入部希望を申し出た。東京六大学リーグで早大・石井連蔵、慶大・藤田元司、明大・秋山登らとしのぎを削った。4年時には主将を務めた。55年の卒業時、就職先も野球部のある東洋紡を選んだ。東洋紡富田(四日市市)で都市対抗に出場しベスト8に進んだ。野球引退後、同社で常務、専務を歴任した。

 長年携わった野球の魅力をよく「野球は人生を投影している」と話していた。「失敗も多いスポーツだが、取り返すこともできる。チームプレーの大切さも分かる。人生の縮図がある」

 日本高野連会長時代、春夏の甲子園大会でのあいさつでは「見送り三振はするな」と繰り返した。「たとえヒットを打てなくてもファウルにすれば次にまたチャンスがある」。湘南高時代から抱いた前向き精神は「今も同じ思い」と人生を貫いている。

 ゲストスピーカーとして脇村氏が会長時代、日本高野連事務局長として支えた現日本高野連理事の田名部和裕さん(72)が招かれた。「野球への情熱、関西在住、教育界出身者という条件から高野連会長にうってつけの方でした」と紹介。教育面では公益財団法人脇村奨学会代表理事を務めている。

 現在も自宅のある兵庫県芦屋市近辺で還暦野球を続ける。「毎週水曜日に集まっている。でも、もう一塁コーチ専門ですけどね」。

 会長就任前から大阪大大学院経済学研究科に学び、博士課程修了。野球の歴史研究も行い、「日本野球の歩み」「日本のプロ野球における3人の企業家個人オーナー」などリポートを編んだ。

 会長退任後も春夏の甲子園大会に駆けつけ、ネット裏でメモを取りながら、温かな視線を送っている。 (内田 雅也)

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