侍J稲葉監督 強攻策ズバリ V打の外崎は「合宿から右打ちが光っていた」

[ 2017年11月20日 05:30 ]

アジアチャンピオンS決勝   日本7―0韓国 ( 2017年11月19日    東京ドーム )

<日本・韓国>初代アジア王者に輝き胴上げされる稲葉監督
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 “おトノさま”がやりました!予選リーグ1位の侍ジャパンは決勝で2位の韓国を7ー0で下し、初代王者に輝いた。4回に外崎(とのさき)修汰内野手(24=西武)が2試合連続の決勝打となる先制適時打。5回にも2打席連続の適時打を放ち、MVPに選ばれた。2020年東京五輪で金メダルを目指す稲葉ジャパンにとって、初陣は最高の結果となった。

 誰よりも和の心を持ったトノさまが、稲葉ジャパンに初タイトルをもたらした。またも一番やりは外崎。4回無死一、二塁から右翼フェンス直撃の2試合連続先制打。5回1死満塁でも左前適時打を放った。前日の台湾戦での3安打2打点に続き、2安打2打点。見事MVPに輝いた。

 「稲葉監督からはこのユニホームのラインの意味。“輪つなぎ”を教えていただき、その通り結束していくぞとお言葉があった。結束して戦えたと思う」

 新ユニホームのストライプにあしらわれた「輪つなぎ」が象徴するように、指揮官が何よりも求めたのは「結束力」。それを体現したのが外崎だった。内外野全てこなし、打線をつないで結束させるだけでなく、決定力もある。先制打の場面。送りバントも選択肢となる場面で、外崎に強攻させた理由を指揮官は試合後に明かした。

 「二塁走者は山川で足も速くない。外崎は合宿からああいう場面で右打ちが光っていた。そこに期待した」

 プレー以外でもチーム全体を考え盛り上げた。試合前の円陣では声出し役。この日は「気持ちをいい方向に持っていこう!」と声を張り上げ出陣した。「楽しさの中で真剣にやるチーム。今後の野球人生に生きます」と殊勲の24歳はヤング侍全員の胸中を代弁した。

 稲葉監督は「みんなが日の丸の重みを感じ結束力を持って一つになり戦えた」と破顔一笑した。結束をうたう一方で侍ジャパンとして勝利主義を掲げ、調子の見極めに腐心した。「勝利主義の手前、実は当初考えたスタメンとはだいぶ変わっている部分はある」と明かす。厳しさを兼ね備えた一戦必勝の構えで3戦全勝V。その中で不動だった一人が6番の外崎でもあった。

 指揮官として初めて4度宙に舞い、優勝後のミーティングで選手に感謝の言葉を述べた。そしてこう続けた。「20年の五輪へ向け、ぜひまたこの日の丸を背負ってやれるよう成長していってほしい」。迫る2年半後へ、若さと結束を旗頭に、稲葉丸は最高の船出を飾った。 (後藤 茂樹)

 ≪外崎 修汰(とのさき・しゅうた)≫

 ☆生まれ&サイズ 1992年(平4)12月20日、青森県弘前市生まれの24歳。1メートル77、75キロ。右投げ右打ち。

 ☆球歴 桔梗野小4年から野球を始め、弘前実では甲子園出場なし。富士大では1年春からベンチ入りし、4年時に主将として北東北大学リーグ春夏連覇。14年ドラフト3位で西武入団。

 ☆実家はりんご農家 「外崎りんご園」は100年以上3代続く名家で「蜜があって甘いんです」。「サンふじ」「王林」が中心で、通信販売での購入も可能。

 ☆6年間同じグラブ 91年の台風19号(通称りんご台風)の影響で両親は莫大(ばくだい)な借金を背負うも「息子には好きなことをさせてやりたい」と応援。中学入学後に新たな借金を背負いながらも硬式グラブを買い与えた。外崎も高校卒業まで大切に使い、西武で入寮の際も持参した。

 ☆山川の影響で上方修正 当初は「社会人の強豪でプレーすること」が目標だったが、富士大の1学年先輩・山川の西武入団に刺激。夢を「1億円稼げる選手になる」ことに変更し、プロ入りを目指した。

 ▽アジアプロ野球チャンピオンシップ2017 新設された国際大会。日本、台湾、韓国で総当たり戦を行い、上位2チームが決勝に進む。参加資格は24歳以下(93年1月1日以降生まれ、または入団3年目以内)で、オーバーエージ3枠。タイブレーク、DH制が採用され、使用球はNPB統一球。賞金は優勝2000万円、準優勝500万円。WBC、プレミア12に並ぶ国際大会を目指し、第2回大会は21年11月の開催を目指す。

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