NPB復帰を目指す元ヤクルト助っ人 四国の独立リーグで懸命に汗

[ 2016年4月29日 10:00 ]

今季は四国IL・愛媛でプレーするデニング

 その男は、今は四国の地で夢を追っている。ミッチ・デニング。「松山はいいところだよ。まだ(道後)温泉には行ってないんだけどね」。昨季途中からヤクルトでプレー。そして今、四国アイランドリーグplus・愛媛に籍を置く。

 「去年は素敵な思い出ばかりだった。毎日のようにチームも勝って…。それに少しでも貢献できてうれしかったよ」

 オーストラリア出身の27歳。昨年5月、ルートインBCリーグ・新潟からヤクルトに入団した。バレンティン、ミレッジが故障離脱したための緊急補強。6月から夏場にかけてはスタメン出場を続けた。6月6日のロッテ戦(神宮)ではロサから決勝の満塁本塁打。ファンにも鮮烈な印象を残した。

 しかし、ミレッジ復帰後は出場機会が激減。CS、日本シリーズでも出番がなく、シーズン終了後に退団した。成績は64試合で打率・222、4本塁打、22打点。独立リーグからNPBを経て、再び独立リーグへ――。それでもデニングは、再度のNPB復帰へと懸命に汗を流し続ける。

 「7月31日が(選手獲得の)期限だというのも知っている。ヤクルトではなくても、どのチームでもいい。故障だったり、その選手が不調だったり…。チャンスが来れば、NPBに戻れるかも知れない。そんな機会を待っているんだ」

 愛媛では主に4番を打つ。練習ではトス上げなども積極的に行う。真面目な性格は変わらない。一方でヤクルト時代とは違って、通訳は不在だ。「日本語も勉強しているけど…。でも、みんなが英語で話しかけたりしてくれるんだ」。かつて新潟では、月給はシーズン期間中だけ支払われた30万円。ヤクルトは年俸360万円プラス出来高払いだった。

 「今もサラリーは安い。でも、お金のことは気にしていないよ」。目の前のボールだけを、夢だけを追う。かつて来日した外国人選手は、文字通り「助っ人」として扱われた。使命はチームの助けとなること。即、戦力として勝利に貢献すること。それこそが求められた。しかし現在では、将来性を評価され育成契約を結ぶ外国人も増加。デニングのように独立リーグでプレーする選手も増えた。

 誰もが夢を求めて日本にやって来るようになった。デニングも「いつか…」の思いを胸に、きょうも打席に立っている。(記者コラム・鈴木 勝巳)

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