“松井5連続敬遠”の河野さん 現役引退で考える「もしも…」

[ 2015年10月9日 09:55 ]

今年9月の全日本クラブ野球選手権でサインを出す千葉熱血MAKING・河野和洋監督

 「松井秀喜を5連続敬遠した男」が、長かった現役生活にピリオドを打つ。クラブチーム「千葉熱血MAKING」で選手兼監督を務める河野和洋さん(40)。「現役は今年で最後です。体もあちこち痛いし。悔いはいっぱいあるけど…。やり切った、ということはない。常に挑戦なんで」。9月の全日本クラブ野球選手権大会に初出場。ベスト4まで進んだ。これを花道に、背番号「55」のユニホームを脱ぐことを決めた。

 12年に引退したゴジラより、3年も長くプレーした。運命が交錯したのは92年夏の甲子園。明徳義塾のマウンドにいた河野さんは、星稜のスラッガー・松井を5打席連続で敬遠した。社会問題にもなった「事件」。2人の人生も大きく変わった。あれから23年。河野さんは「もしも…」と考えるようになった。

 「最近、思うんですよね。僕は敬遠したことで、実力以上に注目してもらった。もし、敬遠せずに普通の試合だったら…。勝ったか負けたかは分からない。でも、今の松井秀喜はあったのかなって…」

 歴史に「if」はない。ただ、5連続敬遠をされたことで、松井秀喜の「伝説」は生まれた。その後は巨人、ヤンキースの主軸としてプレー。国民栄誉賞にも輝いた。

 「もし敬遠をしてなかったら、僕はごく普通の野球人生を歩んだだろうし…。でも逆に、こんなにいろんな人には出会えなかったでしょうね」。明徳義塾を卒業した河野さんは専大に進学。社会人・ヤマハを経て、米独立リーグでもプレーした。いつかプロ野球の舞台に、という願いは叶わなかった。それでも「40歳までいろんなことができた。まだ野球人生は終わっていない。これからにつながると思う」と話した。

 千葉熱血MAKINGは11、12月に、茨城ゴールデンゴールズと「関東・東北水害」の復興支援チャリティーマッチを予定している。河野さん自身の元にも、大学チームからコーチの依頼が届いている。そう、人は夢を食って生きていく。現役生活は終わっても、まだまだ人生は続くのだ。

 「野球は仕事じゃなく、好きで、趣味でやってます。好きなことだし、逆に手は抜けないでしょう?」。兼任監督は完全なボランティア。交通費など「1円ももらっていなかった」という。野球が好きだからこそ、続けてきた。そして、これからも続けていける。(鈴木 勝巳)

続きを表示

この記事のフォト

2015年10月9日のニュース