古田も苦労した選手兼任監督 成功例は30歳代中盤

[ 2013年10月11日 09:13 ]

就任会見で佐々木球団社長(右)と握手をする谷繁監督

 06年から選手兼任監督を務めたヤクルト・古田監督は、05年の96試合出場から、2年間でわずか46試合と激減。うち先発捕手は23試合で、残りは主に代打だった。

 06年開幕からしばらくはスタメンを務めたが5月に右肩を痛め、以降は選手としての自身の回復に専念できなかった。70年の南海・野村監督は全130試合に出場し42本塁打、同年の阪神・村山監督も防御率0・98でタイトルを獲得するなど成功例もあるが、2人は30歳代中盤と若かった。

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2013年10月11日のニュース