西本幸雄氏「バカヤローは取り消して」「写真がどうした?アウトはアウト」

[ 2011年11月26日 11:22 ]

 【西本幸雄氏名言集】

 ▼「努力すれば野球の方から受け止めてくれる。研究すればもっと遠くまで打球が飛んでくれる。野球は人間の努力や工夫を忠実に反映してくれる。道のりは遠くとも、目標に向かって進めば、一歩一歩近づくんだ」=立大や別府星野組で主将、監督としてチームを指揮。1948年都市対抗準優勝(翌年優勝)に際して得た境地、野球観。

 ▼「三宅を入れましょう。自分は二塁に回ります」=毎日現役時代の1951年8月16日の西鉄戦(春日春)で野手を使い切り、残るは一塁を守れる三宅宅三(右投げ)だけ。左投げ一塁手の西本は湯浅禎夫監督に「和中時代に経験がある」と進言した。プロ野球史上初の左投げ二塁手(後にも鬼頭数雄があるだけ)誕生の瞬間。守備機会はなかった。

 ▼「ここにいます。バカヤローは取り消してください」=大毎監督時代の1960年10月12日、大洋との日本シリーズ第2戦(川崎)で「ミサイル打線の大毎でスクイズさせるバカがどこにいる?バカヤロー」と非難する永田雅一オーナーからの電話に。

 ▼「こんな結果ではチームは動かない。自分が辞めるしかない」=前代未聞の監督信任投票事件。1966年10月14日、西宮球場2階会議室。阪急監督5年目に向かう秋季練習初日。全選手43人を集め、「わたしと引き続き一緒にやる気のある者は○、そうでない者は×をつけろ」と無記名投票を実施。×印4票、白票3票の結果に球団に辞任を申し入れた。後の小林米三オーナーの慰留で続投。

 ▼「勝てました…」=1967年10月1日、西京極。「灰色球団」と呼ばれた阪急を球団創設初優勝に導く。ネットの網に右手2本の指を差し入れ、スタンドの小林米三オーナーと握手しながら優勝を報告した。

 ▼「ムネヲカシテクレ」=1967年、巨人との日本シリーズを前に川上哲治監督にあてて打った電報。同い年の川上氏が巨人監督に就任した60年秋と62年秋、ヘッドコーチとして要請を受け、断っていた経緯もあった。

 ▼「写真がどうした?アウトはアウトだ」=1969年10月30日、巨人との日本シリーズ第4戦(後楽園)で土井正三の本塁突入をめぐるセーフ判定で岡村浩二捕手が岡田功球審に暴行し退場。同日夜、土井の左足が本塁に達している写真を手に宿舎に来た新聞記者に。

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